日本近代史⑧~大東亜共栄圏~

日米交渉は続けられましたが、
アメリカはまったく譲歩する動きを見せませんでした。
ハル国務長官のハルノートが手渡され、
日本はこれを最後通牒と判断し、開戦を決意します。
ハルノートは中国、仏印からの軍事力、警察力の全面撤退
中国唯一の政府として蒋介石政権の承認(汪兆銘政権の否認)
三国同盟の破棄を迫るものでした。

ハルノートの元になった試案は財務次官補のハリー・ホワイトによるもので、
ホワイトはソ連のスパイであったことがベノナ文書により明らかになっています。
ソ連は日本に対しては「ゾルゲ機関」を使い北進論から南進論へと国家戦略を誘導し、
アメリカには「スノウ作戦」を行い
アメリカの圧力で日本の関東軍を満州、中国から排除しようと狙っていました。

1941年12月8日、日本はマレー上陸作戦と真珠湾攻撃を行い米英に宣戦布告しました。
第二次大戦に日米が参戦し、文字通り世界規模の戦争となっていきます。

USS West Virginia;014824
日本軍機の攻撃で炎上する米戦艦ウェストバージニア

国力の劣る日本は日露戦争と同じく
奇襲によりハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を壊滅させます。
日本は破竹の勢いで東南アジアを占領します。
戦争継続のために独自で資源を確保する必要がありました。

勢力を広げる日本

日本は対米開戦前の支那事変も含め
この戦争を大東亜戦争と正式に呼称しました。
日本は自存自衛と東南アジアの植民地解放
そして大東亜共栄圏というアジア人自身による共同体を作ることを目的としました。

幾世紀もの間、白人の植民地支配にあえいだアジア人は
目の前で敗走する白人を見て衝撃を受けます。
占領地の国民は日本軍に好意的でした。日本は仏印を除く占領下で独立準備を支援しました。
1943年には大東亜会議にて日本政府はフィリピンとビルマの独立を承認します。
一方、海上輸送の重要拠点としてシンガポールは「昭南島」と改称して日本領土とし、
インドネシアも豊富な資源が重要と考え当面独立を許されませんでしたが、
1944年には小磯声明にて将来の独立が認められます。

Greater East Asia Conference
大東亜会議に挑む東条総理とアジアの独立運動指導者
右からバー・モウ(ビルマ)、張景恵(満)、汪兆銘(支)、東條英機(日)、
ワンワイタヤーコーン(タイ)、ホセ・ラウレル(フィリピン)、チャンドラ・ボース(印)

インドは大東亜共栄圏には含まれていませんでしたが、
自由インド仮政府のチャンドラ・ボースの強い意向により
日本軍とインド国民軍共同のインパール作戦が決行されます。
「チェロ・デリー(進めデリーへ)」を合言葉に
インド領土の奪還と援蒋ルート遮断が目的でした。
後年、戦略的に無謀だったと批判される作戦ですが、
日本が自国の利益のためだけでなくインド独立に協力した証拠です。

戦争当初は日本の優位が続きました。
広大な太平洋を短時間で支配できたのには
優秀な艦艇に加え、航続距離の長い戦闘機の存在が大きかったのです。

A6M3 Model22 UI105 Nishizawa
大東亜戦争初期に無敵を誇ったゼロ戦

零式艦上戦闘機は当時世界最強の格闘戦闘機で、
日本機の航続距離の長さは太平洋上の様々な作戦を可能にしました。
フィリピン攻略の際、マッカーサーは近くに空母がいると思い捜索を指示しましたが
空母は真珠湾攻撃のため北太平洋上にあり見つかりません。
戦闘機は台湾から直接攻撃しに来ていたのです。
零戦は航続距離のみならず強力な武装と驚異の旋回能力を持ち、
日本の兵器を旧式と見なし、
人種偏見により日本人の飛行技術を甘く見ていたアメリカ軍は慌てます。
マッカーサーは「I shall return」の言葉を残しオーストラリアに敗走します。

第二次大戦初期の米戦艦に対する真珠湾攻撃
英戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈したマレー沖海戦など
日本の戦いにより戦艦は航空攻撃により沈む事が証明されました。
大艦巨砲主義は過去のものとなり、戦争の主役は戦艦から航空機の時代となっていきます。
真珠湾攻撃を立案した山本五十六はこれを読んでいました。

Isoroku Yamamoto
真珠湾攻撃を立案した山本五十六大将

日本は短期決戦志向でした。
日露戦争のように戦闘能力を失う前に優位な状況下で講話に持ち込む魂胆です。
海軍は航空戦力と潜水艦によりハワイの敵主力を攻撃、
早期のうちに兵力の大半を滅ぼし、
残存兵力を日本近海におびき寄せて大和などの超弩級戦艦で迎え撃つという
漸減邀撃作戦と呼ばれる伝統的戦法でした。
しかし、日本海海戦はたまたま対馬ルートの読みが当たったのであって、
広大な太平洋でこちらが意図した進路で敵がこない限り
作戦の成立は難しい面がありました。

日露戦争の英雄的な勝利は多くの人の意識の中に長らく残り、
山本五十六のような先進的な発想や認識を鈍らせました。

航空戦力を支えるのが空母であり、これが戦局に大きく関わりました。
真珠湾攻撃の戦果は戦艦の撃沈ばかりで
空母が港を出ており生き残ったのでアメリカの反撃は予想より早かったのです。
そしてミッドウェー海戦によって
日本は多数の主力空母を失い徐々に劣勢を強いられることとなります。

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