中華帝国の復活

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中ソ対立と天安門事件

国共内戦を勝ち抜いた中華人民共和国はチベットを制圧、
冷戦期は朝鮮半島の影響力維持を目的とし朝鮮戦争に参戦した。
同じ共産国であるソ連とは準同盟国だったが、
スターリンの死後、
フルシチョフのスターリン批判から中ソ対立が表面化する。
ソ連はスターリンの個人崇拝からの脱却を始める一方で
中国は大躍進政策でまさにこれから毛沢東の個人崇拝を行おうとしていた。
共産圏同士でイデオロギー論争が巻き起こり、
中印国境紛争の際はソ連がインドに武器を提供し、
キューバ危機の際は中国がソ連を痛烈に批判した。

Mao Tsé-toung, portrait en buste, assis, faisant face à Nikita Khrouchtchev, pendant la visite du chef russe 1958 à Pékin
毛沢東とフルシチョフ

1969年に中ソの国境であるウスリー江の中州、
ダマンスキー島(珍宝島)で中ソ対立はついに大規模な軍事衝突に至る。(珍宝島事件
この頃、敗戦国日本は経済大国として復活、
1964年にはそれを内外に示す一大国家イベントである東京オリンピックを開催、
ちょうどその会期中に大会ボイコット中の中国は初の核実験を行い
5番目の核保有国となっていた。
1971年には親中派の共産国アルバニアのアルバニア決議にて国連加盟が認められ、
中国代表権を剥奪された中華民国(台湾)が国連を脱退する。
国際連合は第二次世界大戦の戦勝国(連合国)を中心に結成されたが、
戦中、日本との戦いを回避し続けた共産党、
存在すらしなかった中華人民共和国が常任理事国の座を手に入れる事になる。
中国の影響力が拡大すると共に西側諸国も対応を迫られた。
ソ連と対立するアメリカは共産圏の分裂を狙い
ニクソン大統領の電撃訪中で中国に接近、米中国交正常化となった。
頭越しに米中が手を握ったことで日本は混乱したが、田中角栄内閣時に日本も追随する。

1955年から1975年まで続いたベトナム戦争では
中ソ共に共産主義の北ベトナムを支援していたが、
統一されたベトナムが親中派の共産国(原始共産主義)
ポル・ポト政権下のカンボジアに侵攻すると
1979年に報復として中国がベトナムに侵攻して中越戦争となった。
ベトナム戦争で鍛えられたベトナム兵に苦戦して中国は早期に退却した。
カンボジア内戦は当初、
アメリカの傀儡政権とポル・ポト率いるクメール・ルージュの戦いという
冷戦期にまま見られる米中の代理戦争の様相だったが、
クメール・ルージュが政権を奪取し親ソ連のベトナムが侵攻した事により、
中ソの共産国同士の代理戦争に変化していた。

PolPot
恐怖政治で自国民を大量虐殺したポル・ポト
Choeungek2
クメール・ルージュの犠牲者

核保有国や常任理事国というソ連と肩を並べる地位を得る一方で
毛沢東が死去すると、大躍進政策文化大革命の失策が明るみになり、
毛沢東の跡を継いだ鄧小平改革開放を謳い、市場経済体制への移行を始める。
これは共産党による政治体制を維持しながら経済は自由化し近代化を図る目的であったが、
この結果貧富の格差が拡大し、国民の不満が高まった。
1989年の天安門事件では民主化を求める非武装の一般市民を戦車でひき殺した。
この虐殺行為は世界中に非難され、
相次ぐ外交制裁により国際的に孤立する危機となった。

この国際的な対中制裁は宮沢内閣における天皇訪中を期に解かれた。
天皇の権威を政治利用するばかりか
国内の不満が再び共産党に向かうことを避けるため、
中曽根総理の靖国神社参拝を皮切りに反日を煽り、反日教育を始めた。

このように中国人民共和国はソ連コミンテルンの後ろ盾で作られたが、
中国と朝鮮の関係のようにソ連に従属するのではなく
やはりあくまで中華であった。
冷戦期の米ソの政治対立を巧みに利用し独立を保ち、
また国内統制に天皇をはじめとして日本を利用してきた。

東アジア共同体とAIIB

ソ連はゴルバチョフ政権でペレストロイカという改革を行った。
これは中国と対照的に政治を先に自由化する政策であったが、
経済の自由化に着手する矢先にソ連が崩壊する結果となった。
一方の中国は天安門事件を乗り越えて、
90年代に改革開放を再開し、経済成長を加速させ共産党政権を維持した。
ソ連崩壊により冷戦が終結したため、中ソ対立も緩和
両岸関係(台湾問題)は以前緊張状態であるが、
1997年に香港、1999年にマカオが相次いで中国に返還され、
一定の不安要素を抱えながらも
「一国二制度」「一つの中国」を使い分けて政治的な主導権を維持している。

安価な労働力を求めて世界中の企業が中国に拠点を築き
中国は21世紀の「世界の工場」とみなされた。
2001年には念願のWTOに加盟し
2008年に北京オリンピック、2010年に上海万博を開催するに至った。
2010年の時点で中国のGDPは日本を抜き
世界第二位の経済大国となった。
その背景には日本のODAなど先進国からの経済支援がある。
国際社会は中国の独裁体制は問題視しつつも
多くの国がそうだったように経済発展から
いずれは政治も民主化されると信じていたのである。

中国はアメリカやEUに対抗するため
オセアニアやインドを抜いたASEAN+3東アジア共同体によって
中国が主導権を握るアジアブロック、かつての中華帝国の復活を目論んでいる。
東アジア共同体は単なる経済協力ではなく、
共通通貨など経済政治の広域な共同体構想でアジア版EUのようなものである。
中華文明圏として技術力の日本も取り込もうとしているが、
これまで書いてきたとおり、日本は歴史的に大陸と距離を置いており、
戦後、自由貿易によって経済大国に成長したのであって
世界的に信頼されている通貨円を捨てアジアブロックに参加するメリットは低い。
日本はアメリカやインド、オーストラリアなどを含めた
広域な経済共同を提唱している。
また中華文明圏の特徴である漢字文化はベトナム、朝鮮半島では廃止され、
皮肉にも中国の他、日本でしか日常的に使われていない。
そもそも中国、ベトナム、ラオスは一党独裁の共産主義国であり、
民主主義、市場主義、人権の尊重など基本的価値を共有できていない

中国は経済成長の裏で
1989年度から21年連続で2桁増という凄まじい勢いで軍拡を推し進めており、
2010年頃には空母を建造するなど
中国統一(台湾侵攻)をはじめとする軍事的野望を隠さなくなった。
ロシアやインドなど内陸からの驚異が無くなった中国は
2000年以降対アメリカを念頭に海洋進出を進めていて、
日本との尖閣問題やベトナム、フィリピンとの南沙諸島問題など隣国と紛争を抱えている。
中国共産党は建国100周年を迎える2049年に向けて
アメリカに代わる超大国を目指し、世界の覇権を狙っている。

AIIB logo

東アジア共同体を主張してきた
鳩山由紀夫元首相が顧問になっていることからも分かるとおり
行き詰った東アジア共同体はAIIBの設立という形に変わってきている。
中国の経済発展の恩恵にあやかろうと日米を除く
イギリスをはじめとした多くの西側諸国も参加している。
日米のTPPが失速する中、中華帝国は着々と復活に向けて動き出している。

反日の根源

特定アジアと呼ばれる地域が反日である原因はズバリ中華思想である。
中国大陸ではアジアの支配的地位を誇る東夷日本への反感、
朝鮮半島は長年中国に従属しており、
中国を兄、日本を弟と見る小中華主義と呼ばれる思想がある。
中国はソ連から共産主義を、
韓国はアメリカからキリスト教を輸入したが、
あくまで外側だけであり、
国民の精神や社会構造などの潜在意識は従来の中華世界と変わりがない

幾度も戦争を繰り返しながらも
キリスト教を始めとする共通文化のおかげで
フランスとドイツが和解し、地域統合が進んだヨーロッパに対して
アジアでこれらが一向に進む気配がないのは、
冷戦構造だけでなく、この中華思想が大きな原因である。
また特定アジアでは近代的民主主義が根付いておらず
政権運営が不安定であるために
国内統制のために戦術として反日政策を断続的に行っている面がある。

日本は中華思想を一貫して否定しており、
世界情勢を冷静に鑑みて西洋文明を柔軟に受け入れた。
孫文など、明治維新に感化され
改革を主導した人物は中国や朝鮮にも見られたが、結局は失敗に終わった。
日本はアジアにあってアジアではない
福沢諭吉脱亜論では
既に中国、朝鮮の改革に期待することの無意味さが言及されていたが、
白村江の戦いや元寇に見られるように
朝鮮半島が日本への足がかり的存在であったため、
安全保障上の必要に迫られ、半島、そして大陸の進出を余儀なくされた。

日本による大東亜共栄圏満州国の繁栄
仏教思想によってアジアブロックを実現しようとしていた。
アジアの紛争を解決する一筋のわずかな光であったが、
現実的には大陸の共産化により、その道は閉ざされ、
精神的には根強い中華思想が最後まで日本主導のアジア改革を許さなかったのである。

日本には天皇がいたが、今、中国に皇帝はいない。
中国が行っているのは
歴代王朝の国家理念であった徳による支配ではなく、
自らが夷狄と呼んだ西洋列強による武による支配となんら変わりがない。
遅れてきた植民地主義であり、
西洋法(国際法)を無視して独自の中華思想を採用している分立ちが悪い。

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