PROFILE

マンマルX

(まんまるえっくす)
1990年(平成2年) 1月19日 京都府宇治市生まれ
歴史・宗教・政治研究家 著述家 陰謀論者 イラストレーター
ヤフーニュースでコメント投稿してます!
https://news.yahoo.co.jp/profile/id/jIYj74KXaWTff0fptKk5FLMZuaydjbg-/comments

歴史を学ぶ上でまずは自分自身で自分史を書いてみると
客観的に後から見れるので面白いかもれません。
特にその時の社会の時世などを交えて書くといいですね。
自己紹介も兼ねて例としてマンマルXの歴史を書いてみようと思います。

マンマルX史

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幼少期

バブルが膨らんでもうすぐ弾ける平成2年(1990年)
明治16年(1883年)創業の老舗家具店の経営者家系の次男として京都で生まれました。
宇治市の比較的裕福な家庭で育ち、幼少期は外で体を動かして遊ぶことよりも
部屋にこもって絵を描いたり、人形遊びが好きな男の子でした。
男三兄弟であったにも関わらず、勝ち負けが決まる勝負事が嫌いで、
スポーツやじゃんけんでさえ嫌でした。
そういう意味では究極の平和主義者だったのですw

しかし、平成8年(1996年)小学校に入学し、
多くの人と交わるとそんな生温い環境ではなくなってきます。
勝負事をしない人ほどイジメの標的になる人はいません。
運動ができないことがコンプレックスで、
やがて絵を描くことで自己武装していきました
そうすると体育の時間サッカーとかでミスをしても
「こいつは運動できないけど絵が上手いから」
で許してもらえるようになりました。
小学校の入りたての頃はイジメに遭ったりもしましたが、
できる限り相手に優しく親切に対応する事を心がけ、
唯一の武器と言える絵については全力で楽しんで、周りの評価も集め、
クラスの人気者という政治的なポジションを維持しました。

小学校の途中からゆとり教育が始まり土曜日が半ドンになりました。
(半ドンの意味はググって下さいw)
政治や歴史については強烈な興味がもともとあったわけではありませんが
「太平洋戦争」には不思議と興味を持ち、
夏休みの自由研究でわざわざ取り上げるほどでした。
自分の祖父母世代が悪者と教わり残念というより
不思議に思いながらも妙に憧れていましたw

父が映画好きで子供の頃から見ていたスターウォーズの影響で
「帝国」という言葉は悪の代名詞としてインプットされていましたが、
なんとなくかっこいい響きだったのですw
「平和教育」の名の下で南京事件やら朝鮮人差別も教えられましたが、
ダース・ベイダーやデス・スターに憧れるように
戦艦大和や零戦を持ちアメリカに挑んだ大日本帝国
それ自体に純粋な興味がありました。

思春期

平成14年(2002年)、在日朝鮮人集落陸上自衛隊駐屯地に挟まれた中学校に入学。
その当時は特別意識してはいませんでしたが、
昔から朝鮮人集落の不良が多く荒れた中学校だったようで、
クラスの人気者的な立場であった小学校時代からは一変、
自身も3年間、不良からのイジメにひたすら耐える辛い日々でした。
一方で中学時代にできた新たな友人はほとんどが自衛隊員の子供でした。

中学入学と前後して読書感想文用の本を探しに書店に行ったとき
小林よしのり著の「戦争論3」を購入します。
自分は目からウロコの真実の歴史を目の当たりにして衝撃を受けます。
そこには涙を流さずにはいられない民族の歴史が描かれていました。
自分が自虐史観から解放されたのはまさにこの一冊でした。

同時期に「機動戦士ガンダム」(ファースト)にハマり
戦争が勧善懲悪ではなく正義のぶつかり合いであることも理解し始めます。
思春期にこういう影響を過度に受けるとエネルギーが偏るもので、
当初の反米、反中思想は強烈でしたw
自分自身でいろいろと調べていくうちに徐々に軌道修正していきましたが
小学校の自由研究の結論で書いた「どんなことがあっても戦争はやってはいけない」
という言葉は既に口にできなくなりました。

私はイジメ被害の裏で取りつかれたように右翼系の本を読み漁り、
家族や友人になにかと政治や歴史認識の話題をぶっつけました。
日本人としてのアイデンティティが、自分自身のアイデンティティと重なり
右翼本とガンダムに始まる80年代のSFリアルロボットアニメが
いつの間にか生きる支えとなっていたのです。
最初は黙って周りも聞いてくれましたが、
高校、大学と進学するにつれてこんな話題に付いてくる人もなく、
そんな中で新たな居場所となったのが学生日記から始めたFC2ブログmixiでした。
こうしてネットで自身の考えを語っていく事になります。

青年期

平成20年(2008年)、もともと漫画家を目指していたので
当時日本唯一のマンガ学部のあった芸術大学へ入学しました。
TwitterなどのSNSや学友と参加したコミケによって新たな表現の場を手に入れ、
YouTubeやニコニコ動画などの動画コンテンツの中から
外山恒一の政見放送に衝撃(笑撃)を受け、
これまでのような右翼思想一辺倒ではなく
左翼思想ファシズム研究にも没頭するようになります。

学友はともかく大学は「北海道は日本か?」などの
アイヌ解放同盟ばりの立て看板がキャンパスに溢れ、
大体の芸術家や評論家がそうであるように左派教員も多かったのです。
講義で取り上げられた南京事件を巡る感想文から端を発し、
学内で一人孤軍奮闘、ある左翼先生と戦っていました。
この左翼先生は自分を「歴史修正主義者」と罵り、
講義の時間を使って再三にわたり個人攻撃され、
周りの学生たちも皆一様に沈黙を守り、徐々に精神的に追い込まれた上に
さんざんブログでも警告したのに、
選挙で自民党が大敗し、民主党政権が誕生する始末…
人でも多くの人に自虐史観から目覚めて欲しいという情熱は
すっかり覚めてしまいました。
その後の売国政策は有権者の批判を横目に当然の帰結だと冷ややかに見ていました。

北海道時代

大学卒業後の平成24年(2012)、絵を諦めるつもりはなかったものの
親の伝で北海道の家具店に就職、ブログも絵も書かなくなっていきます。
北海道の3年間はある意味で冬の時代と言えるかもしれません。
しかし安倍政権の復活慰安婦誤報によって
ようやく日本中で脱自虐史観の風潮が高まってきました。
日本人の目覚めが始まったのです。
日本の変革の時は近いと感じ、
新たに政治系ブログとして「ゆとり世代の憂国ブログ」を始め、
再び自虐史観からの解放のため活動を始めます。

東京時代

絵を諦められない私は平成27年(2015年)、
会社を辞めて実家には戻らず無職で東京へ、
フリーターで極貧生活をしながらも細々と創作活動を続けていました。
一方で安倍長期政権によって日本が誇りを取り戻し始めると
今度はネット右翼などの右派が幅を利かせ、
少数派に対するヘイトスピーチが聞かれるようになりました。
固執したネット内部の思想の矛先はやがて自分にも向けられます。
こうして自虐史観からの解放というブログの目的は
一応の完成を見たとしてブログ更新を停止。
その後、平成28年(2016年)8月8日の天皇陛下の突然の退位表明から、
生まれて初めて経験する改元を前に政治系ブログから歴史系ブログに転向するため
「平成男児の歴史学研究所」にブログ名を変更。
令和元年(2019年)、改元を機にFC2ブログからBloggerブログへ移転しました。

壮年期

令和2年(2020年)、改元後初の正月を過ぎ30歳を迎え、
世界的な新型コロナウイルスのパンデミックが発生。
緊急事態宣言と東京アラートの合間に東京から実家の京都に8年ぶりに移住
フリーターを辞め、親の会社に正社員として入社。家具店で勤務を始める。
令和3年(2021年)BloggerブログからWordPressへ移転。
Googleアドセンス審査合格を機にサイト名を「オクタゴン宇宙局」に変更。←今ここ

思秋期

中年期

高年期

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オクタゴン宇宙局OXA
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