皇室は万世一系ではなく古墳時代に三度王朝が交代したとする説。
概要
戦前、支配的だった皇室の万世一系という概念に対する批判・懐疑から生まれ
騎馬民族征服王朝説と同様に
記紀が天皇の正統性を高めるため政治的理由により編纂されたという立場からの仮説である。
1952年に水野祐が最初に唱えた。以下の3王朝があると主張している。
- 三輪王朝(イリ王朝)
- 河内王朝(ワケ王朝)
- 継体朝
イギリス王室同様、
ステュアート朝、ハノーヴァー朝、ウィンザー朝のように
複数王朝による交代なので万世一系の皇統を否定するものである。
王朝の拠点が時代により移動していることを論拠としたが、
政治の中心地が移動しただけで往々にして見られる例であり、
必ずしも劇的な権力の交替とは結びつかないとされる。
現在では万世一系否定派でも
全く異なる血統による王権の交代を主張する者は少数派である。
ある特定の血統が大王(天皇)位を独占的に継承する
「王朝」が確立するのは継体・欽明朝以降のことで、
それ以前は数代の大王が血縁関係にあっても
「王朝」と呼べる形態になっていなかったとする見解が主流になっている。
三輪王朝(古王朝)
10代崇神天皇~14代仲哀天皇までの王朝。
大和の三輪地方(三輪山麓)に本拠をおいたと推測され三輪王朝と呼ばれる。
この王朝に属する天皇や皇族に「イリヒコ」「イリヒメ」など
「イリ」のつく名称をもつ者が多いことから
「イリ王朝」と呼ばれることもある。
これより前、初代神武天皇~9代開化天皇は架空の天皇と主張している。
河内王朝(中王朝)
15代応神天皇~25代武烈天皇までの王朝。
応神王朝は天皇の宮と御陵が河内に多いことから河内王朝と呼ばれる。
この王朝に属する天皇や皇族に
「ワケ」のつく名称をもつ者が多いことから
「ワケ王朝」と呼ばれることもある。
継体王朝(新王朝)
26代継体天皇~現在までの王朝。
継体天皇は武烈天皇の子ではなく、
15代応神天皇の5代の末裔とされている。
日本書紀では相対的に先代25代武烈天皇が悪王と表現されていることから
水野祐は継体天皇は近江か越前の豪族であり皇位を簒奪したとした。
仮に応神天皇の5代の末裔が事実だったとしても血縁が遠いため
皇統に変更が起こったと見なすものも多い。
継体天皇は確かに記紀の記述や
国体を継ぐという名前そのものからも
なにか特別な意味を持っていた気がする。
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