大量破壊兵器の実験場

人の歴史は戦いの歴史でもある。
戦争は自然災害と同じく歴史上何度も繰り返され、
人を効率よく殺すために武器や兵器は進化を続け、ついに大量破壊兵器を持つに至った。
現在、人類は人類そのものを絶滅させるほどの大量破壊兵器を保有していると言われている。
その代表的なものである核兵器は世界で唯一日本においてのみ使用された。
大量破壊兵器とは大きく分けて
核兵器(Nuclear)生物兵器(Biological)化学兵器(Chemical)の3つ
それぞれ英語の頭文字をとってNBC兵器とも言われる。
第一次大戦~第二次大戦の国家総力戦の期間に誕生し、
大量生産、大量消費の近代世界において大量破壊を目的としたこれらの兵器は
通常兵器に比較してあまりに強力なため使用が厳しく制限されている。

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出典:Wikimedia Commons and User:Andux.
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核兵器

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核兵器は言わずと知れた強力な爆弾である。
第二次大戦末期、アメリカが日本に対して実戦使用した。

原爆開発は第二次世界大戦前から各国で研究されていた。
原子核の内部構造を正確につかみ、
そこから強大な破壊エネルギーが生まれることを世界で最初に予測したのは
皮肉にも彦坂忠義日本の科学者だった。
しかし世界恐慌やその後の軍部台頭により研究は無視された。
その後、各国で原子爆弾の研究が始まると
日本も追随し陸軍は理研で「二号研究」、海軍は京大理学部で「F研究」が行われた。
戦後、日本初のノーベル賞受賞者となる湯川秀樹もF研究に参加していた。
このように理論体系は日本が進んでいたが、
肝心の原料となるウランを手に入れることが非常に困難な状況であり、
その上、空襲で研究施設も破壊されたため開発を断念した。

当時最も開発が進んでいると噂されていたのが化学工業国のナチスドイツである。
ナチスの迫害から逃れ、アメリカに亡命してきたユダヤ系化学者たちが
ナチスが先制保有に成功した場合、その標的にされるのを恐れ、
ユダヤ系ドイツ人アルベルト・アインシュタインの手紙などで
ルーズベルト大統領に原爆開発の必要性を直訴し、
ユダヤ系アメリカ人のロバート・オッペンハイマーが中心となり
「マンハッタン計画」が始動。
1945年7月16日、アメリカのニューメキシコ州ソコロのホワイトサンズ射爆場において
人類史上初の核実験「トリニティ」が実施され資源の豊富なアメリカが唯一開発に成功する。
後に連合軍がナチスの科学者を捕らえ研究資料を押収すると
1944年後半、原子力開発はまだ実験段階で
原爆製造の考えを放棄していたという事実が知られた。
アメリカを原爆製造と投下計画に駆り立てていたナチス原爆の脅威は幻影であった。

Trinity Test Fireball 16ms
トリニティ実験

完成した原爆はすでに降伏したドイツではなく
制海権と制空権を失い、あらゆる都市が空襲により破壊されているにもかかわらず
絶対に降伏せず、その上決死のカミカゼ(特攻)を続ける日本を標的にした。
1945年8月6日に広島、8月9日には長崎と
B-29爆撃機からそれぞれウラン型プルトニウム型
種類の違う原爆が日本の都市に投下された。完全な人体実験であった。

Atomic bombing of Japan
ヒロシマ・ナガサキのきのこ雲

閃光と衝撃波が街を襲い、
爆心地500m圏内は強烈な熱線により野外いた人は一瞬で蒸発、致死率99.7%
2キロ圏内の建物が爆風によって倒壊、爆風は音速を超えた。
広島市の人口35万人(推定)の4割に当たる約14万人が死傷。
長崎市の人口24万人(推定)の6割に当たる約15万人が死傷。
たった一発の爆弾で一都市を破壊できるのである。

Castle Romeo

ヒロシマ型TNT火薬13キロトン、ナガサキ型TNT火薬22キロトン
現在の通常兵器でも最大威力TNT火薬10トン規模(MOAB)であるため桁違いの威力である。
ちなみに史上最大の爆弾はロシアの水素爆弾ツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝)
TNT火薬100メガトンであり、
第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍の威力を持つ
ソ連時代1961年にノヴァヤゼムリャで行われた実験では50メガトンに制限されたが、
それでもヒロシマ型の3300倍の威力であり、
核爆発は2,000キロメートル離れた場所からも確認され、その衝撃波は地球を3周した。

さらに恐ろしいのは爆発によって生じた放射線である。
放射線は建造物を通過するので
爆風から逃れて外傷のない人も、被爆地に救助に駆け付けた人も
初期放射線や残留放射線の影響(黒い雨、死の灰)によって被曝し、
より多くの人が健康被害に襲われた。
頭髪の脱毛、皮下出血、歯茎からの出血、鼻血、
下痢や嘔吐などの急性放射線症候群や、
白血病やがん、骨髄異形成症候群などを発症する可能性が高くなる
晩発性の放射線障害が発生する。
被曝者の胎児も知的障害や奇形などのリスクが高まる。
これらは「原爆症」と言われ、被曝による遺伝子異常で被曝者の2世、3世…
現在進行形で被害を与え続けている。

核兵器の誕生は日本の降伏、即ち第二次世界大戦の終結であり、
冷戦の始まりを意味する。
アメリカに続いてソ連が保有に成功すると互いに報復を恐れ
ヒロシマ・ナガサキのように実戦で使用されることがない極めて戦略的な兵器となった。
アメリカは原子力の平和利用と称して友好国に原子力発電を推進させつつ
さらに強力な水素爆弾を開発し再び核優位に立つもすぐさまソ連も水爆開発に成功する。
その後イギリス、フランス、中国と核保有の連鎖が続き、
国連安保理の常任理事国5か国に保有を独占するNPT(核拡散防止条約)が結ばれるも
その後もインド、パキスタン、そして北朝鮮と核拡散が続いている。

B-29 in flight
超空の要塞B-29

ヒロシマ・ナガサキは制空権を確保したうえで戦略爆撃機から投下された。
戦略爆撃機は積載量と航続距離が重視され、現在の旅客機に繋がる技術である。
ヒロシマ・ナガサキでは核爆弾を搭載するために改造を施されたB-29が使用された。
冷戦初期の戦略爆撃機は核兵器同様の戦略兵器で
アメリカはB-52、ソ連はTu-95などを開発し、互いにけん制していた。
これらの爆撃機は未だに現役であり、航空機の技術は1950年代で既に完成されたとも言える。

一方でICBM(大陸間弾道弾)というミサイルに搭載すれば
安全な内地にいながらボタン一つで敵の主要都市を破壊できる。
核爆弾の小型化とミサイル技術の向上によって戦略爆撃機はその役目を終えた
核兵器を最初に手にしたのはアメリカであるが、
世界最初のICBMはソ連のR-7である(1957年)。
冷戦当初、ミサイル技術も宇宙開発もソ連がアメリカをリードした。
初の人工衛星打ち上げも有人宇宙飛行もソ連である。
その要因は世界初の長距離弾道ミサイルで
第二次大戦後期にイギリス本土を爆撃したV2を開発した
敗戦国ドイツの技術をソ連が独占したからである。

Fusée V2
V2ミサイル
(出典:AElfwine

第二次大戦期のドイツの科学技術は世界の最先端を行くもので、
ロケットのみならずドイツが発案したジェットエンジンや後退翼などは
朝鮮戦争に登場したソ連のミグ戦闘機(MiG-15)の高性能により一般に知られるようになり
西側諸国は「ゼロ戦の再来」と警戒し、その後の戦闘機の基本的な機体構造となった。

Duxford Air Festival 2017 - mig1 (34842016051)
MiG-15
(出典:wallycacsabre

化学兵器

Skull and Crossbones

化学兵器は一番歴史の古い大量破壊兵器である。
近代では第一次世界大戦の毒ガス兵器が有名である。
ノーベル化学賞を受賞する
ユダヤ系ドイツ人フリッツ・ハーバー有するドイツがやはり一歩進んでいた。

非致死性の催涙ガスから両陣営で使用されていたが、
膠着する塹壕戦の突破に大きな期待を持たれ、
1915年4月22日ベルギーのイープルでドイツ軍がフランス軍に対して
大量の塩素ガスを散布したのが戦場での毒ガス使用の始まりとされる。
この戦いで5700本のボンベに詰められた150~300tの塩素が放出され、
フランス軍を局地的に壊乱状態に陥れた。
その後イギリス軍も塩素ガスを使用し始めると
ドイツはホスゲンガスを実戦投入。改良型のジホスゲンも続けて開発された。
これらのガスを吸引した兵士は、低濃度でも呼吸器官に甚大な被害を受け、
死に至らずとも呼吸困難に陥って長い間症状に苦しむことから、
非人道的な兵器として恐れられた。

Flanders WWI gas attack

まもなくガスマスクが普及すると、
窒息剤のような吸引のみによるものでなく、直接皮膚に損傷を与える化学兵器が開発され
びらん剤の一種であるマスタードガスが1917年7月12日にイーペル戦線で投入された。
マスタードガスは、浸透性が強く防護が困難で、
最初の使用地名から「イペリット」と恐れられるようになった。
連合国もマスタードガスの実戦投入を進め、
当時ドイツ軍の一兵士として前線にいたアドルフ・ヒトラーもマスタードガスで負傷した。

第一次世界大戦中に開発された化学剤の種類は約30種に及んだ。
米英独仏の4ヶ国で生産された化学剤の総量は、
塩素が19万8千t、ホスゲンが19万9千t、マスタードガスが1万1千tとされる。
中でも化学工業の発達していたドイツの割合が高く、
塩素の5割、ホスゲンの9割、マスタードガスの7割がドイツで生産された。
うち12万4千t(化学砲弾など6600万発)が実戦使用された。
イギリス国防総省によると、
化学兵器による両軍の死傷者は130万人、うち死者は9万人に上るという。

British 55th Division gas casualties 10 April 1918
催涙剤で目を負傷したイギリス兵(第一次世界大戦)

第一次大戦後、あまりに甚大な被害から
各国はジュネーブ議定書を調印して(非締約国を除く)
戦場での化学兵器の使用が禁じられることになったが、
生産、開発、保有は禁じられておらず、その後も世界各国で研究開発が進められた。
第二次世界大戦では戦場で化学兵器が使用されることはなかったが、
アメリカは日本本土戦において
マスタードガスを使用した大規模な毒ガス攻撃を準備していた。
アメリカは支那事変で日本軍が(非致死性)毒ガスを使用していたことから
化学兵器の使用は正当化できると考えていた。

Japanese Special Naval Landing Forces in Battle of Shanghai 1937
防毒マスクを着用する日本軍(支那事変)

1930年代にはドイツで神経剤が発見され、
ゲルハルト・シュラーダーの手によってタブン、サリン、ソマンを開発。
第二次大戦終戦まで秘密裏に大量保有していた。
これらはGermany(ドイツ)の頭文字を取って「G剤」と命名された。
V1、V2などの弾道兵器に化学兵器を使用した場合の被害は核兵器を上回ると考えられたが、
ナチスはついに使用する事がなかった。(ドイツは戦後にもシクロサリンを発明している。)
連合国が同様の兵器を持っていると仮定していて報復を恐れたこともあるが、
ヒトラー自身の毒ガス経験がユダヤに対しても最終的な使用を躊躇したと言われている。
一方、連合国はこれらナチスの化学兵器の存在を終戦まで知らなかった。
連合国はこれらナチスの化学兵器を確保して研究し
イギリスのラナジット・ゴーシュによって1950年代にVXガスなどの強力な神経剤が作られ
G剤に対してVenomous(有毒な)から「V剤」と命名された。
V剤の研究は核兵器資料と引き換えにイギリスからアメリカに移った。

ナチスでさえ使用を踏みとどまった化学兵器は
1994年、オウム真理教により世界初の化学テロとして日本で使用される。
ドイツが開発したサリンを利用した
松本サリン事件、地下鉄サリン事件の合計死者数21人、負傷者約6,960人
日本国民は核兵器に続いて化学兵器の被害も受けたことになる。
またオウムはVXガスも開発しており、
オウムに反抗する人々の暗殺に使用された。 (オウム真理教とハルマゲドン参照)

Emergency personnel respond to the Tokyo subway sarin attack

生物兵器

Biohazard

生物兵器は炭疽菌、天然痘、ペスト、人工ウイルスなど
コストパフォーマンスに最も優れた大量破壊兵器であり、
テロリストが容易に持ちやすい大量破壊兵器の筆頭に挙げられる。
第二次大戦時、日本がこの分野で最も進んでいた
石井四朗が中心となった731部隊は満州を拠点に生物兵器の研究を行ったとされる。

Shiro-ishii
231部隊の創設者
石井四郎陸軍軍医中将

実は史上初の大陸間兵器
ドイツのV兵器でもソ連やアメリカのICBMでもなく
日本が開発した「風船爆弾」である。
巨大な風船に爆弾をぶら下げ、当時欧米ではまだ知られていなかった
「ジェット気流(偏西風)」を利用してアメリカ本土を爆撃するのである。
冬季に日本上空を時速200~300㎞という強風が吹くため
1944年秋から翌年の1945年春にかけて約9,000個が放たれた。

Japanese fire balloon Moffett.jpg
風船爆弾「ふ号兵器」

先端科学の粋を集めたドイツのV兵器と比べると
素材は和紙とコンニャク糊という簡素なもので誘導装置もないため、
その多くが大陸にたどり着かず海上に落ちたり、上空で破壊された。
実際にアメリカ本土にたどり着いたのは280個あまりであり、
到達範囲は西海岸をはじめ北はアラスカ、カナダ、南はメキシコ、
東は5大湖周辺と広範囲だが、
装備は焼夷弾だったため小規模な山火事を引き起こす程度で被害は大きくなかった。
オレゴン州でピクニック中の民間人6人が不発弾に触れて爆死したのが唯一の戦果である。

このように風船爆弾そのものの戦果としては芳しいものではなかったが、
これが爆弾ではなく生物兵器であれば細菌やウイルスの拡散力をもって
さらに多くの被害と社会混乱を招くバイオハザードに至る可能性があり、
アメリカは非常に風船爆弾、生物兵器を警戒していた。
風船爆弾一つがマンハッタン計画に関連する
プルトニウム製造工場の送電線に引っかかった際は
原爆計画がばれているのではないかという疑念を抱かせ、
当初発射地点が特定されていなかったので、
すでに日本軍がアメリカ本土に侵入しているのではないかという恐れを抱かせた。
日本軍の目論見通り心理的効果は絶大であったが、
アメリカは厳しい報道管制を敷きその状況を日本が把握することもできなかった。

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ネバダ州ニクソンで発見された風船爆弾

炭疽菌、ペスト等の生物兵器の風船爆弾への搭載は実際に検討されており、
牛痘ウイルス20トンが用意されていたが、
昭和天皇が使用を裁可しなかったため最後まで細菌戦が行われることはなかった。
アメリカは終戦まで風船爆弾を利用した生物兵器の散布や
日本兵のアメリカ本土侵入の可能性を払拭できず
最終的な原爆使用を決断させた可能性もある。

戦後、ドイツのロケット技術がソ連によって独占されたように
日本の生物兵器の技術はアメリカに独占された。
アメリカは技術提供の見返りに731部隊の戦争犯罪を追及しなかった。
731部隊の関係者は戦後、医大教授であったり医療機関の主要な役職についた。

GHQ占領期の1948年に帝銀の支店で
東京都防疫班の白腕章を着用した中年男性が、厚生省技官を名乗り、
赤痢の予防薬と称して青酸化合物を飲ませ行員と用務員一家ら12人を毒殺し、
現金16万円と、小切手を奪って逃走するという「帝銀事件」が発生する。
捜査が731部隊関係者に及ぶとGHQが割って入り捜査を中断させた。
また石井四郎の片腕だった内藤良一らが設立した
大手医薬品メーカーミドリ十字
アメリカから輸入された危険な非加熱製剤によって
1980年代に「薬害エイズ事件」「薬害肝炎」を引き起こしている。

HIV-budding
リンパ球に結合するHIV-1

血友病患者に使用された非加熱製剤にエイズ患者の血漿が含まれており
血友病患者の4割にあたる1800人がHIVに感染し、うち約600人以上が死亡した。
当時、世界の血漿総量の3分の1以上を日本が一国で消費していた。
1981年にアメリカのロサンゼルスに住む同性愛男性(ゲイ)で初めて症例報告された
エイズウイルス(HIV)
アメリカが731部隊の技術から開発した生物兵器でないかという説がある。
今もアフリカを中心に被害を及ぼしている。
他にもSARS、鳥インフルエンザの流行は
急成長する中国の人口削減のためのアメリカによる細菌テロという陰謀論もある。

原爆、サリン、エイズ…まさに日本は大量破壊兵器の実験場である。
またこれら大量破壊兵器の開発に多くのユダヤ人が絡んでいることも見逃せない。

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