アトムの死

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2011年、3月11日。アトムが死んだ。

アトムとは手塚治虫の名作漫画であり、国産連続TVアニメ第一号でもある
「鉄腕アトム」に登場する人型ロボットの事である。
アニメ第一期の最終回で
実際にアトムは地球を守るために太陽につっこみ死んでしまう訳だが、
ここではその名のとおりアトム=原子力のメタファーとして捉え、
東日本大震災による福島原発事故が
戦後の経済大国としての日本の終わりの始まりであることを明らかにする。

「鉄腕アトム」は戦後の貧しい日本に夢と希望を与えてくれた。
手塚治虫の描く近未来。それはそのまま、日本の目指すべき未来となり、
実際に今のロボット工学に多大な影響を及ぼしている。
一方で、万能なロボット「アトム」の登場は
精神を優先しすぎて科学力でアメリカに及ばず「原爆」により敗戦した
という日本人の苦い過去からくる反動でもあるだろう。

貧しい国となり、もう二度と立ち上がることはできないと思われてきた日本が
戦後、急激に経済成長し、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国にまで上り詰めた。
アメリカと比べて人口も資源も桁違いに少ない中での世界第二位は
例え戦後のアメリカの支援の影響を考慮しても
日本人自身の努力がなければ達成できない偉業である。
80年代~90年代の世界経済はまさに日本の一人勝ちの状態であり、
ある意味ではアメリカに勝ったのである。

その経済発展のために切っても切れない存在がエネルギーである。
資源のない日本はアメリカの影響もあり、石油を中東に頼らざるを得なかった。
しかし中東紛争が頻発し、オイルショックが起こった。
その中でローコストで大量にエネルギーを生み出す原子力は
「夢のエネルギー」として注目されていった。
設定上、10万馬力のアトムの動力は「原子力」であり、
その後の日本の経済発展を支えてきた「原子力発電」は
作品の雰囲気と相まって「核の平和利用」肯定的なイメージを与えてきた。
(ただし、原子力推進の裏には冷戦期におけるアメリカの意向があったことを付け加えておく)

しかし、作者である手塚治虫が1988年に死去。
チェルノブイリ原発事故が起こり、ソ連が崩壊。
世界バランスの大きな変化の中で
戦後から続く経済発展もバブルがはじけ、現在まで続く不況に陥った。
90年代は日本でも原発事故が頻発する事態に、原子力に対して否定的な意見が出始めた。

2003年、4月7日。アトムは設定上の誕生日を迎える。
それを記念して作られたアニメ第三期では
アトムはすでに原子炉内蔵ではなくなっていた

科学があたかも魔法のように感じられ、今日より明るい明日があった時代は確かにあった。
しかし、今回の震災や一連の関連災害を見るとおり、
科学は万能ではなく、災害に対して無力であり、
それどころか逆に科学が人を混乱させたわけである。 (もちろん人災の面もあるが)
そして震災時という極限状態の中で人々の協力し合う姿など
「絆」という言葉も頻繁に使われたとおり、
人々の精神的な繋がりが新たにクローズアップされたのである。

精神→科学→精神と逆戻りの傾向なのか?

2012年現在、政権も変わり、皮肉にも日米同盟という核の傘で
領土問題など以前は隠れていた日本の潜在的問題が浮き彫りになってきた。
それと同時に気付けば
戦後期におけるかつてのアトムのような
進むべき未来像やその指標を失ってしまったのである。
我々は何を信じて、何を求めて、何を目指して生きていくできなのか?
帰路に立たされている。

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アトムと原発

今は無き漫画社という出版社が
1977年に出版した「アトムジャングルへ行く」という冊子がある。

寒くなったジャングルにアトムと動物たちが協力して原子力発電所を作るという話。
なにやらとんでも無い話だが、
この冊子は電気事業連合会を通じて全国の電力会社に納入され、一般に配布された。
翌年には続編まで作られている。
まぁ簡単に言えば政府御用達の原発PR漫画
これを根拠として手塚治虫は原発推進派だという説が昔からある。

これに関してチェルノブイリ原発事故後の
1988年のインタビューにて手塚治虫自身が
「描いた覚えがなく許可した覚えもない」と関与を否定し、
「原発に反対」とはっきり答えている。
このインタビューから8ヶ月後に手塚治虫は胃がんで死去してしまう。

たしかに絵は明らかに本人のタッチではない
出版社は手塚プロの許可を得ているというが
手塚治虫がこの世を去り、出版社も倒産したので真相は闇の中である。
またチェルノブイリの後というのが気になる。
当時は反原発の議論が沸いた時期。この時期に考えが変わったかもしれない。

手塚治虫ほどのビックネームなら多くの人が利用しようと思うだろうし、
手塚本人もそれを良しとしていた節がある。
手塚治虫は共産党や公明党系の雑誌で連載もしていたし、
自民党の応援演説をしたこともある。電力会社のCMなど積極的に協力をしていた。

ライフワークである火の鳥の黎明編では
騎馬民族征服王朝説を採用するなど一部左派の影響を受けた部分もあるが、
東映労働組合の書記長を経験した筋金入りの左派だった宮崎駿と違って
固執したイデオロギーは持っていなかったというのが個人的印象だ。

そもそもアトム(原子)やウランという名前からして原発と非常に親和性がある。
もし推進派と勘違いされたくないのであれば
知的財産権などの認識が薄かった時代とは言え、
この作品が出回った段階でしっかり抗議し処理するべきだった。
そうしなかった上に、続編まで作られたということは
本人も半ば容認していたということだろう。

本名の由来や元々裕福な家庭に育った家柄、
そして左翼思想から這い出てきた白土三平を始めとする劇画との対立などを考えると
保守的な政治思想が垣間見えるし、
手塚治虫の名が売れ始めると既得権益を守るため、その傾向が強まった。
一方でサブカル界に左派が浸透したために
こうした曖昧な立場に身を置かざるを得なかったのではないかと推測する。

最初から反核を前面に出していたゴジラと違い
アトムには戦後の焼け野原の中、
核の平和利用や科学文明への憧れを象徴していたことも
裏に科学文明への疑念というテーマがあった事も事実。
原発推進派や原発反対派というレッテルを簡単に貼るべきではないし、
手塚治虫はそんな表面的なことに縛られる人じゃなかったと個人的には思うのである。

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