
2011年、3月11日。アトムが死んだ。
アトムとは、「鉄腕アトム」に登場する人型ロボットの事であり、
同作は1963年に放映された国産連続TVアニメ第一号としても知られている。
アニメ第一期の最終回において、
アトムは地球を守るために太陽に突入し、実際に命を落とす。
本稿ではアトム=原子力(アトム)のメタファーとして捉え、
東日本大震災とそれに伴う福島原発事故が
戦後日本の終焉の始まりの出来事であったことを論じる。
日本戦後史と原子力
「鉄腕アトム」は1952年から漫画連載され、
戦後の貧しい日本に夢と希望を与えた作品である。
手塚治虫の描いた21世紀の近未来像は、
そのまま日本の目指すべき未来像となり、
実際にロボット工学をはじめとする科学技術分野へ大きな影響を与えた。
一方で、万能なロボット「アトム」の登場は
精神論を優先し、科学力でアメリカに及ばなかった結果として
1945年に「原爆」により敗戦した日本人の苦い記憶からくる反動とも考えられる。
アトムは被爆国から生まれた原爆の子なのだ。
焼け野原となり、二度と立ち上がれないと思われていた日本は、
戦後、急激な経済成長を遂げ、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国へと上り詰めた。
人口も資源も圧倒的に少ない中でのこの地位は、
アメリカの戦後支援を考慮しても、日本人自身の努力なしには成し得ない偉業である。
80〜90年代の世界経済は、ある意味で日本の一人勝ちであり、
「経済」においてはアメリカに勝ったとも言えた。
この経済発展と切り離せないのがエネルギー問題である。
資源に乏しい日本は石油を中東に依存せざるを得ず、
中東紛争とオイルショックを経験した。
その中で、低コストかつ大量の電力を生み出す原子力は
「夢のエネルギー」として注目されていく。
設定上、10万馬力のアトムの動力源は原子力であり、
戦後日本の経済成長を支えた原子力発電は、
作品のイメージと相まって「核の平和利用」という肯定的な印象を社会に与えてきた。
しかし1986年、チェルノブイリ原発事故が発生し、
国際的に反原発世論が高まる。
1991年にはソ連が崩壊し、1989年には手塚治虫も死去した。
世界秩序が大きく変化する中、日本経済もバブル崩壊を迎え、
現在に至る長期不況へと突入する。
90年代には国内でも原発事故が相次ぎ、
原子力に対する否定的な見方が徐々に広がっていった。
2003年、4月7日。アトムは設定上の誕生日を迎える。
それを記念して制作されたアニメ第三期では、
アトムはすでに原子炉を内蔵しない存在となっていた。
科学が魔法のように信じられ、
「今日よりも明るい明日」が確実に存在していた時代は、確かにあった。
しかし今回の震災と一連の災害が示したのは、
科学が万能ではなく、時に人を混乱させる存在であるという現実である。
(もちろん人災の側面も否定はできない)
一方で、極限状態における人々の協力や助け合いが注目され、
「絆」という言葉が頻繁に使われるようになった。
ここで再び、精神的なつながりがクローズアップされたのである。
精神 → 科学 → 精神
これは後退なのだろうか。
2012年、政権交代とともに、
日米同盟という「核の傘」の下で隠されていた
領土問題など日本が抱える潜在的課題が表面化し始めた。
同時に、戦後の日本にとってアトムが象徴していたような
進むべき未来像やその指標を失ってしまったのである。
我々は何を信じ、何を求め、何を目指して生きていくのか。
今、帰路に立たされている。
アトムと原発
今は無き漫画社という出版社が
1977年に出版した「アトムジャングルへ行く」という冊子がある。
寒冷化したジャングルで、アトムと動物たちが協力し
原子力発電所を建設するという内容である。
この冊子は電気事業連合会を通じて全国の電力会社に納入され、一般に配布された。
翌年には続編も制作されている。
いわゆる政府御用達の原発PR漫画であり、
これを根拠に「手塚治虫=原発推進派」とする説も長らく存在してきた。
しかしチェルノブイリ事故後の1988年、
手塚治虫はインタビューにおいて
「描いた覚えも、許可した覚えもない」と関与を否定し、
原発についても「反対である」と明言している。
その8か月後、手塚は胃がんで死去した。
絵柄は明らかに本人のタッチではなく、
出版社は手塚プロの許可を得ていたと主張しているが、
出版社は倒産し、真相は不明のままである。
ただし、この冊子が流通し、さらに続編まで制作された事実を考えると、
少なくとも黙認していた可能性は否定できない。
手塚治虫ほどのビックネームなら多くの人が利用しようと思うだろうし、
手塚本人もそれを良しとしていた節がある。
手塚治虫は共産党・公明党系の雑誌で連載を持つ一方、
自民党の応援演説や電力会社のCMにも協力していた。
ライフワークである『火の鳥』の黎明編では、
騎馬民族征服王朝説を採用するなど、
一部に戦後左派史観の影響が見られる部分もある。
しかし、東映労働組合の書記長を経験し、
反原発などの政治的メッセージを積極的に発信してきた宮崎駿や
左翼画家を父に持ち、労働運動にも参加してきた、
「カムイ伝」で知られる漫画家、白土三平と比べると、
手塚治虫は特定のイデオロギーに固執する人物ではなかった、
というのが個人的印象である。
そもそも「アトム(原子)」という名前自体が原子力と親和性を持つ。
誤解を避ける意思が強ければ、
知的財産権の意識が薄い時代であったとしても、
何らかの対応は可能だったはずだ。
その意味で、
アトムは核の平和利用への憧れと、同時に科学文明への疑念という
戦後日本の二面性を象徴する存在だったのだろう。
最初から反核を前面に押し出していたゴジラとは対照的である。
原発推進派・反対派といった単純なレッテルで
手塚治虫を語るべきではない。
彼は、そうした枠に縛られる人物ではなかったと、私は思う。

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