飛鳥時代
日本に仏教が入ってきたのは飛鳥時代。
同盟国であった朝鮮の百済からもたらされ、聖徳太子が日本に広めた。
物部氏(神道派)と蘇我氏(仏教派)の争いもあったものの
キリスト教などと違い多神教である神道を否定するものではなかったため
結果としては共存、もしくは融合し日本に根付いた。
「右脳の神道、左脳の仏教」とも言われるように、
神道には天皇の神性や日本人のイデオロギーを補強するものではあるが、
明確な教義が存在しなかったため、
普遍性があり論理的な仏教はインテリからもてはやされた。
そもそも飛鳥時代は大化の改新が起こり、これから日本の国作り行う段階にあり、
既に巨大な帝国を築いていた隣国中国は、
インドで誕生してから何度も鍛え上げられた
仏教という高度なシステムによって国家運営に成功していたので
これを取り入れることは必然であった。
奈良~平安時代
奈良時代に入り、聖武天皇は仏教による国家鎮護のため
全国に国分寺の建設を指示し、その総本山として都に東大寺を建設した。
やがて三論宗、法相宗、華厳宗、倶舎宗、成実宗、律宗という
南都六宗(奈良仏教)が生まれた。
南都六宗は平安以降の宗派とは違い学派的側面が強く、
垣根は低く交流が盛んで東大寺などで互いに教義を学びあった。
しかし道鏡という僧侶が天皇の座を狙うなど
これら奈良仏教は力を持ちすぎたため。
桓武天皇は奈良仏教の影響から逃れるため平安京に遷都した。
平安時代は最澄が唐から持ち帰った天台宗や
空海が持ち帰った真言宗を保護した。
奈良仏教が平城京を中心とした都市仏教だったのに対して、
天台宗の比叡山延暦寺や真言宗の高野山金剛峯寺のように
これら平安仏教は山岳仏教であった。
これには二つの目的がある。
一つは平安仏教が山中での厳しい修行に重きを置いたためで
孤立した山中で繰り返される修行の末次第に密教化していった。
もう一つは都市と距離を置くことで
奈良時代のような仏教勢力による政治参画を防ぐ目的があった。
この時点で神仏習合が広まり神道と仏教の融合が進んだ。
平安仏教は皇室や貴族の現世利益を叶えるとされ、
仏教によって国を治める鎮護国家が進められ、
加持祈祷によって国家運営をする風潮が確立された。
また法然・栄西・親鸞・道元・日蓮といった
各宗派の開祖たちの多くは比叡山延暦寺から輩出されている。
平安時代に日本仏教の基礎は確立されたと言えるであろう。
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