日本近代史①~植民地化の波~

図案で説明するのが最も分かりやすいと思うので地図も交えて説明します。
近代という時代区分は国によってバラバラですが、
日本では明治維新以降つまり明治時代からとなってます。

スポンサーリンク

明治維新を誘発させた植民地主義

明治維新は日本の近代化であり
アジアの国がヨーロッパの文明を自ら取り入れた史上初めての文化的大革命でした。
これは近代化=西洋化を決定づける出来事で
他国も結果的に明治維新に追随する形で近代化を行います。

日本はユーラシア大陸の東の果てにある島国です。
以前は海を隔てたおとなりの中国の優れた文明を受け入れており、
遣隋使、遣唐使などを派遣して
一時は中国の皇帝に朝貢もしており従属関係になった事もありました。
それが何故、ユーラシアの西の果て、地理的にも対極に存在する
遠いヨーロッパの文明を受け入れる選択をしたのでしょうか?

明治維新前後の日本周辺地図

この地図は19世紀末のアジアの地図です。
見ての通り、この時代ヨーロッパ諸国はわずかに日本、中国(清朝)、タイを除き
アジアのほとんどの地域を支配していました。
アフリカ大陸の支配を終え、植民地支配の波はアジアへと到達していたのです。
(赤字は支配を完了した年)
こうした緊迫した国際情勢がまさに日本を維新に駆り立てたのでした。

そもそも植民地主義とは何か?
ヨーロッパは実は比較的貧しい土地なのです。
寒冷で日光が少なく痩せた土地では植物や農作物が育たず、
そのため狩りに出て動物を殺しを食べる。
次第に生活のために動物を飼う「牧畜」を始めます。
このため白人は狩猟(牧畜)民族と言われています。狩りのためには強い武器が必要でした。

一方、アフリカやアジアは温暖で自然豊か食物資源が比較的豊富でした。
なので植物や果実の採集を始め、「農耕」中心に発達します。
日本人は白人と対比して農耕民族と言われます。
西洋のそれと比べると武器の技術的進歩は遅かったと言えます。

海洋国家である日本が捕鯨国であるように
雑食性である人間は何も植物だけ動物だけを食べるわけではない。
狩猟採集から農耕牧畜などは洋の東西問わず、どの文化圏でも行われましたが、
土地柄に合わせて民族や文化の特色が生まれます。
牧畜中心の欧州や中国は土地に執着せず、貴金属などの財産を身に着けて移動します。
人口が増え、村から町へ、そして国家を築くと外敵を防ぐために城を中心に城壁が作られ、
時に攻め、時に守り、生活物資を確保するために戦いに明け暮れます。
武器や科学技術の練度はさらに高まります。
一方の日本の城は川や山など自然環境を利用し、いわゆる城壁がありませんでした。(平安京)

16世紀頃、スペイン、ポルトガルが
中国で生まれた羅針盤などの技術革新により外洋に進出、
新大陸を発見し大航海時代がやってきます。
香辛料貿易に頼らず直接確保するために
遠いインドや黄金の島ジパングに行くことが目的でした。
当時はイスラム帝国やムガール帝国などアジア諸国の力が強く
地中海をイスラム商人に抑えられていたのです。
香辛料は生肉などの長期保存のために必須でした。
白人たちは現地人の遅れた文明を見て自国のために資源を搾取する事を思いつきます。
これが植民地主義の始まりです。

スペイン、ポルトガルに始まり、新たに独立したオランダ
そして遅れてきたイギリス、フランス
さらにドイツ「列強」と呼ばれた国々は圧倒的技術力を背景に
次々にアフリカ、インド、東南アジアを占領し、植民地争奪戦を始めました。
資源を搾取、黒人などの現地人を奴隷とし植民地化を進めました。
インディアンやアボリジニなどの新大陸の先住民族は虐殺され、
アメリカ大陸やオーストラリアには白人が入居してきました。

モンゴル帝国崩壊後はシベリアの広大な領土がロシア帝国のものとなり
さらに南下を開始、海だけでなく、からも白人国家の侵攻が始まりました。
広大な植民地を獲得したイギリスでは産業革命を持って工業化に成功。
西洋列強はさらに植民地主義を加速させます。

困難だった東洋の植民地化

戦国時代に日本にも外国船がやってきますが、
人口の多さ、識字率の高さ、兵士の練度を見て植民地化を一旦諦めます。
アフリカやインドで成功した植民地化は
比較的文明の進んだ中国はじめ東洋では円滑に進みませんでした。
白人は見た目の肌の色など黒人とアジア人を明確に区別していました。

ポルトガルは中国のマカオを居留地としてアジア貿易の拠点とします。
日本では長崎を拠点としますが、江戸幕府は鎖国を開始します。
キリスト教を禁じ、ポルトガルを追い出し
当時力を誇ったオランダのみ出島を開放し幕府監視の下貿易を続けました。
いずれも植民地の扱いではありませんでしたが
当時から日本人はインドや東南アジアの状況に危機感を持っていました。
キリスト教布教の後には軍隊が来る事を知っていました。

アフリカ、アジア、アメリカ大陸、
オーストラリアなど各地で悲惨な侵略戦争が続く中で
日本は鎖国政策を取る事で江戸時代250年もの世界史上稀にみる平和を維持しました。
これはヨーロッパからもっとも離れ、周りを海に囲まれた南北に長い島国という地理的要因。
自然も豊かで海洋資源に恵まれ、なおかつ
独自の文化と自国だけで完結する経済システムが存在したことが大きかった。

平和はまだ続くと思われましたが、
それでも植民地主義の魔の手は日本に刻一刻と迫っていました。
お隣の中国までもが標的となった時、日本は覚悟を決めます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました