ドイツやフランスでユダヤを批判するような言論が取り締まられているように
日本でも取締さえ受けないものの「菊タブー」が存在する。
菊タブーは、日本の天皇・皇室に対する批判やパロディーに対する禁忌(タブー)、
及び直接的暴力も含む圧力の総称であり、
天皇・皇室の紋章が菊(菊花紋章)であることから、婉曲的にこう呼ばれる。
最初に言及するが、私個人の政治的スタンスでは
皇室は国家統一、国民統合のために今でも必要不可欠であり
皇室を破壊する行動に関しては否定的である。
概要
明治維新以後、近代日本は天皇を中心とした国家体制(国体)が築かれ
国家神道が国家運営の精神的支えとなったことによって
不敬罪や治安維持法などの法律によって
これを崩壊させようとする共産主義者やアナキストは弾圧の対象となった。
ロシア革命(共産革命)は市民による下からの革命であるが、
明治維新は皇室による上からの改革であった。
ソ連・コミンテルンによるアジアの共産化に対抗し、
日本が満州事変など大陸に進出した背景に国体護持があったことは明白である。
共産主義が日本に押し寄せることは
すなわち皇室破壊に繋がり日本崩壊を意味する。
皇室批判の抑圧が薄れるのは戦後になってからである。
GHQによって共産主義者などの政治犯が解放され、
アメリカ的民主主義の導入により、不敬罪が消滅。
「言論の自由」という名の元に様々な研究や発言されるようになった。
これは60年代~70年代にかけて共産主義の復興の中で全共闘などの学生運動に繋がり、
日本赤軍や反日武装戦線などの共産主義者やアナキストによるテロを引き起こした。
敗戦によって、皇室破壊は現実のものとなりつつあったが、
冷戦の期間、日本におけるソ連の影響力を排除するためにも
GHQは再び共産主義者の弾圧を始めた。(逆コース)
アメリカはかつてそうだったように日本を共産主義の防波堤と見なした。
また、GHQは天皇制を円滑な日本統治のために必要と考えたため
戦後合法化された日本共産党が皇室の廃止と共和制の導入を目指したのに対し
日本国憲法第一条により国民統合の象徴として一定の地位を保証した。
憲法によって言論の自由が認められたものの
GHQ統治下では言論統制・弾圧がなされ、
主権回復後も報道機関の自主規制という形で菊タブーが残された。
いくらマスコミが左傾化しようとも
皇室批判や天皇の戦争責任などについては口を閉ざし、
表面上は皇室を敬う体裁を取っている。
しかしながら、
民間レベルでは戦前に比べ皇室批判が容易になったのは事実である。
戦前、日本で広く受け入れられた「国家神道」が否定され
教育の場でも教育勅語が排除された。
今の皇室に繋がる記紀や天皇の役割について教えないために
国のお金で贅沢な暮らしをしている特権階級程度の理解しか持たず
皇室の必要性を感じない若者が増えている現実がある。
歴史において古事記や日本書紀に始まる神話要素も否定され、
皇室の正統性の根拠であった神武から始まる「万世一系」が疑問視され、
科学的、考古学的見地が優先されるようになった。
特に2代目綏靖天皇~9代開化天皇は記紀での記述が少ないため
「欠史八代」と呼ばれ、皇室の長さを誇るために後世に作られた架空の天皇である
という見方が主流になりつつある。
初代神武天皇の非実在説、
もしくは歴史的共通性から初代神武と5代目崇神、15代応神の同一人物説もある。
津田事件
昭和初期(戦前)、日本史学者の津田左右吉が
『日本書紀』『古事記』を史料批判の観点から研究し
記紀が天皇家による日本統治の正統性を高めるために
高度に政治的な理由で編纂されたと表現したため不敬罪であると批判を受けた。
2代綏靖天皇から現代で主張される欠史八代の開化天皇まで、
さらには現代では実在性が高いとされる崇神天皇、垂仁天皇、
景行天皇、成務天皇、仲哀天皇(神功皇后)夫妻の存在さえも否定した。
この結果、書籍が発禁処分され、
「皇室の尊厳を冒涜した」として出版法(第26条)違反で起訴され、
1942年(昭和17年)5月に禁錮3ヶ月執行猶予2年の判決を受けた。
戦後になると皇国史観を否定する「津田史観」は
第二次世界大戦後の日本史学会の政治的主流となり、
敗戦による価値観の転換を体現するものとなった。
以下、その影響下で出現した菊タブーに抵触する主な説である。
いずれも皇統の正統性や万世一系に対して疑問を投げかけている。
コメント