戦闘民族日本。

日本人は1945年の敗戦によって
世界で最も臆病で戦争を嫌う民族になりました。
しかし、元々はサイヤ人もびっくりの戦闘民族でした。
ユーラシアを征服したモンゴル帝国(元)を返り討ちにし、
眠れる巨人とヨーロッパからも一目置かれた
ナポレオンをも打ち負かした世界最強の陸軍国ロシアなど
当時の大国を相手に勝利を収めてきました。

Battle of Pyongyang by Mizuno To
水野年方「平壌攻撃我軍敵壘ヲ抜ク」(1894)

歴史上、日本が負けたと言われるのは
白村江の戦い(対唐・新羅連合軍)
ノモンハンの戦い(対ソ連・モンゴル連合軍)
第二次世界大戦(対米英欄支ソ連合国)だけです。
上2つはそれぞれ百済、満州国を助けるために行われた
朝鮮半島と満州の局地戦なので、実質戦後完全占領された
第二次世界大戦のみといっても差し支えないでしょう。
それもソ連は日本が劣勢の時に参戦したので論外として
対英欄支戦は連勝を続けており、
明確に負けたと言えるのは対米戦争ぐらいです。

日本人の強さの秘密はどこにあるのか?
日本の伝統的武器といえば「日本刀」です。
現代でも最強の剣との評価が高く、世界中で愛好家がいます。

Blade and Mounting for a Sword (Katana) MET sfsbx11s2

刀は侍の武器ですが、
銃火器が普及した近代に入っても生産され、
世界各国で剣が戦争で使われなくなったあとも
白兵戦を得意とする日本軍では軍刀として使われ続け、
機関銃にすら銃剣を取り付けるほどでした。
銃社会の問題を抱えながらも
西部開拓時代からの自己防衛の伝統により
銃を手放さないアメリカのように
刀は日本の象徴で有り続けました。

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九九式軽機関銃
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西洋の剣は真っ直ぐな直刀が多く、
鎧の隙間を突いたり叩き切る意味合いが強いのですが、
日本刀は湾曲しており断ち切ることに特化した武器でした。
そして日本刀は世界でも珍しい片刃の両手剣です。
西洋では剣と盾はセットで
左手に盾を持ち左半身つまり心臓を守り
右手に両刃の片手剣を持ちました。
日本では盾は普及しませんでした。
つまり日本人は「攻撃が最大の防御」だったわけです。
これは攻撃力や運動性を重視して
防弾を犠牲にしたゼロ戦の設計思想にも通じます。

こうした清く死を恐れない精神「大和魂」と言われ、
ぱっと咲いてさっと散る「桜」に形容されるように
一瞬の命の輝き、その無常観は
「もののあわれ」とも言われ日本人の美徳でした。
こうした精神性は
地震など自然災害の多い日本列島だからこそ育まれたと思います。

世界中を植民地にしてきた欧州列強も
最強の刀と剣術を持ち、日々鍛錬を続ける侍を見て日本征服を諦めます。
侍の戦闘力は戦国時代に最高潮に達し、
江戸時代に入り泰平の世になると
多くの浪人がタイのアユタヤ朝を始め
外国で傭兵として雇われました。
勇敢で実戦経験の豊富な日本人傭兵は歓迎されました。

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アユタヤ国王の信任も厚かった山田長政
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近代においても日本兵は勇敢に攻める姿勢を持ち、
奇襲攻撃を得意としていました。
そして劣勢に立たされると
降伏を良しとせず決死のバンザイ突撃を行いました。
インパールで衝突した最強の傭兵と謳われる
グルカ兵からもその実力を高く評価されています。
日系人部隊であるアメリカ陸軍第422連隊
欧州戦線で勇敢に戦いアメリカ合衆国軍事史上で
もっとも多くの勲章を受けました。
広大な太平洋、極寒のシベリア、熱帯のジャングル
世界のあちこちで歴戦を戦い抜いた日本人は
世界最強の戦士であると言われました。

D4Y3 Yoshinori Yamaguchi colorized

大和魂は日本刀を持った鎌倉武士から
究極には神風特別攻撃隊を生みました。
しかし、現在の日本人には侍の面影は全くありません。
これほどの戦争アレルギーになったのは
占領軍による戦後教育はもちろんですが、
第二次世界大戦におけるB-29の大規模空襲や原爆投下など
初めて国土が直接攻撃に晒されたことが大きいと思います。
第二次世界大戦は日本人が初めて体験した総力戦でした。
それ以前は近代戦争といえば大陸など海外で行われるもので、
国民は我が身の危険を身近なものに感じていなかったわけです。

現在、戦争責任は軍部でほぼ統一されていますが、
政府や軍部は実は抑制的でした。
第一次世界大戦後のヨーロッパの惨状から
国際連盟の設立に協力し、非ヨーロッパで唯一の常任理事国となり、
米英と協力して軍縮も行い、ワシントン体制を築いて平和共存に尽力しました。
むしろ関東大震災や世界恐慌を受けた国民の方が好戦的
政治を停滞させた政党政治に見切りをつけ
共産ゲリラと対立し満州国を建国した軍部を支持したのです。
現在の日本人の戦争アレルギーの根本にはこの反動があると思います。

江戸時代の泰平の世や戦後の平和国家を見ると
日本人は平和を愛する民族なのですが、
良くも悪くも一つのきっかけで
ガラッと雰囲気が切り替わる民族
です。
中国が靖国参拝や再軍備に過度に反応するのは
実はそれなりに根拠があり、
それだけ日本人が戦闘民族だった恐怖の記憶が残っているのです。

しかしながら無法者を相手に無抵抗を決め込んだり、
大きな脅威を前に逃げようとする姿勢は
本来の日本人のあるべき姿ではありません。
今、日本刀はすっかり骨董品で、鞘に収まっていますが、
いざという時には刀を抜く覚悟は必要です。
消滅したと思われる大和魂ですが、大地震の度に発露されるように
侍のDNAはしっかり受け継がれているのです。

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