キリストとイスラム対立の歴史④

スポンサーリンク

中東戦争~イスラム革命

05 10 05 soldiers in old city 1
アラブ人の子供に銃口を向けるイスラエル兵士
(出典:CPT-Hebron)

「中東戦争」の原因はイスラエル建国である。
建国の翌日に建国を認めないアラブ各国は宣戦布告。
1948年から1973年にかけて断続的に
イスラエルとエジプトなど周辺のアラブ諸国との間で
第4次までに渡る「中東戦争」が起こる。

東西冷戦期でもありアメリカなど西側諸国はイスラエルを支援し、
ソ連など東側諸国はアラブ諸国を支援。
中東戦争は「米ソの代理戦争」であった。
同時にエルサレム帰属問題を含む
ユダヤ教とイスラム教の宗教戦争の側面もあった。

数的不利なイスラエルを
アメリカが一貫して支援し、戦いを有利に進め、
国連に与えられた地域を超えてイスラエルは領土の拡大を続ける。
1973年、第4次中東戦争終了時にアラブ世界の盟主であったエジプト
単独でイスラエルと和解したため中東戦争は終結する。

しかしレバノン戦争以降、
戦争はパレスチナ解放機構(PLO)とのゲリラ戦に変わり
1993年のオスロ合意にて
国家イスラエルとガザのパレスチナ自治区を互いに認める事で
和解に至ったが、和平も長く続かずパレスチナがテロを再開すると、
イスラエルもガザ空爆を始め、「和解しては戦争」を繰り返している。

Bill Clinton, Yitzhak Rabin, Yasser Arafat at the White House 1993-09-13
米クリントン大統領の仲介により
PLOのアラファト議長(右)と握手を交わすイスラエルのラビン首相(左)

オスロ合意後、ラビン首相は暗殺され、穏健派のアラファト議長も死去。
現在、オスロ合意はほぼ崩壊している。

アラブ諸国としては和解したエジプトがいる一方で
中東戦争によってイスラエルに領土を奪われたシリア
厳格なイスラムのイランは現在も対決姿勢を緩めていない。

1979年、シーア派の国家イランでホメイニ師による
イスラム原理主義に基づくイスラム革命が起こる。

Portrait of Ruhollah Khomeini By Mohammad Sayyad
ホメイニ師

革命の波及を阻止するためにスンナ派のイラクが先鋒となりイランを攻撃。
1980年「イラン・イラク戦争」が始まった。
欧米的近代化に逆行する思想を危険視した欧米やソ連、
革命の波及を恐れた多数派のスンニ派アラブ諸国はイラクを支援。
対イスラエルで結束したイスラム諸国の連携は乱れた。
またイスラエルは何故かこの時イランを支援している。

ここから中東問題はさらに複雑化する・・・

ソ連アフガン侵攻~イラク戦争

共産国家であるアフガニスタンでは
イスラム信者の反乱が起きアフガン政府の要請でソ連が軍事介入。
1978年から「アフガニスタン侵攻」が始まる。
ソ連はイランで成功したイスラム革命がアフガンなど
影響下にある共産国家に飛び火する事を危惧していた。
もちろんアメリカなど西側はソ連の侵攻を批判し、
アメリカはイスラム教徒を支援して
タリバンやアルカイダなどの武装勢力を結成させ間接的にソ連を攻撃した。
この軍事行動は冷戦最後の年である1989年まで続いた。
1986年のチェルノブイリ原発事故と合わせてソ連崩壊を招く原因となった。

一方、米ソの支援を受けて中東における軍事大国となった
フセインのイラクは1990年に隣国クウェートに侵攻。
ソ連崩壊後唯一の超大国となったアメリカは手のひらを反すように
友好国であったイラクを攻撃、翌1991年に「湾岸戦争」が行われた。
その時、イスラム教の聖地メッカのあるサウジアラビアに米軍が駐留した。
キリスト教の軍隊がイスラム国家に駐留する事に多くのイスラム教徒が反発。
アルカイダの主導者ウサマ・ビンラディンもサウジ出身であった。
アルカイダはソ連崩壊後、イスラム思想を高め反米的になっていた。
そして2001年、米同時多発テロが行われた。
この報復として
アルカイダの潜伏先とされるタリバン政権のアフガニスタンを攻撃、
またアルカイダを匿っているとして2003年イラク戦争が行われた。
イラクしかり、アルカイダしかり
自分で育てた犬に噛みつかれる状況である。

アラブの春~現在

アフガン紛争、イラク戦争は泥沼化した。
ベトナム戦争然りアメリカはゲリラ戦に強くない

アメリカは圧政から解放し民衆に自由を与えるという大義名分
テロリズムに対する憎しみを国際社会と共有する事で
自身の軍事行動を正当化しようとしたが、
2011年ジャスミン革命から始まるアラブ諸国の民主化運動
「アラブの春」によって中東において「親米であれば独裁を認める」という
かつてのイギリスと同じく二枚舌が露呈した。
皮肉な事にエジプトなど親米政権は自由を求める民衆により倒された。
アメリカの中東戦略は大きく躓いた。

アフガンやイラクは米軍侵攻前よりも治安が悪化し、
タリバン政権、フセイン政権
そして中東の独裁政権、これら体制側が相次いで崩壊したため
ISISのようにこれらの地域はイスラム過激派の温床となっている。
本来なら歓迎されるべき民衆の勝利であるが、
次に起こるであろう政権は必然的にナショナリズムが沸き起こり、
反米、反イスラエルになるだろうし、
そこに過激派の付け入る隙を与えてしまう。
アラブの春が「イスラム革命の一部」になる可能性があり、
そうなるとアフガンやイラクでの戦争も無に帰してしまう

アメリカはパキスタンで潜伏中だったビンラディンを殺害した。
テロに対する勝利の象徴的な出来事と宣伝し、アメリカ国民は歓喜した。
9.11時にも見られたいかにもアメリカ的な世論操作だが、
今回のISISにしても、まだすべてが終わったわけではない。
中東革命に対するアメリカのあせりのようなものを感じる。
いずれにせよ、アメリカとイスラムの対立は一つの転換期を迎えた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました