(出典:中華民国総統府) |
昨日16日投開票された台湾総統選は、
最大野党民進党の蔡英文主席が大差で勝利し
独立志向が強い民進党が8年ぶりに政権を奪還しました。
国民党の馬英九政権が進めた
対中融和路線が見直されることは確実と思われます。
この背景には大陸中国への強い不信感が
台湾国内で広がっているということでしょう。
デモ参加者に催涙弾を浴びせる香港警察 |
2014年に香港反政府デモがありました。
香港は中国にある大都市ですが
清とイギリスで争われたアヘン戦争後の南京条約によって
清から割譲、1842年以降イギリスの植民地となり
イギリスの東アジアにおける重要拠点として栄えました。
イギリス統治時代の香港の旗 |
1941年第二次世界大戦によって日本統治が始まるも
日本の敗戦によって再びイギリスの植民地となりましたが、
新たに誕生した中華人民共和国との政治問題となったため
特別行政区として1997年に中華人民共和国に返還されました。
ここで問題となったのが政治と経済の問題です。
大陸中国は一党独裁の共産主義国家ですが、
香港は100年以上のイギリス統治下において自由経済によって発達しました。
香港人もそれを良しとしていたので中国に取り込まれることを恐れました。
そして始まったのが「一国二制度」の導入です。
もともとは台湾を取り込むために生まれた制度でしたが
社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しない
ことを約束しました。
しかし、中国共産党は香港の未来を決める選挙に干渉してきました。
香港では2017年の香港特別行政区行政長官選挙から
1人1票の普通選挙が導入される予定でしたが
中国は行政長官候補は指名委員会の過半数の支持が必要であり、
候補は2-3人に限定すると決定し
中央政府の意に沿わない人物の立候補を事実上排除する方針を取りました。
他にも香港政府が義務教育で
中国中央政府に対する愛国教育を推し進めるなど
中国共産党の干渉は年々強くなってきました。
この積み重ねにより
中東のアラブの春と同じタイミングでの反政府デモに繋がったのです。
「一国二制度」とは何だったのか?
台湾人は疑念を抱いたに違いありません。
香港はまさに中国に取り込まれた台湾のモデルケースとなりました。
そんな中で昨年11月に行われた中台首脳会談。
このままでは第二の香港になってしまう。
今回の選挙結果はそれに待ったをかけたのです。
中国共産党に近づく馬英九総統 (出典:中華民国総統府) |
アラブの春はチュニジアから始まりましたが
アジアの春は台湾からかもしれません。
5月にはフィリピン大統領選挙がありますが、
ここでも反中政権が誕生する事でしょう。
しかしアラブの春が現状うまくいってないように
東アジア全域の民主化も困難を極めます。
ヨーロッパの鉄のカーテンは消滅しましたが
朝鮮半島から東シナ海、
中台海峡を通り南シナ海に至る竹のカーテンは健在です。
これを乗り越えねばなりません。
シリア内戦、対ロシアで手一杯のアメリカなので
地域内の大国である日本の役割は今後更に大きなものとなっていくでしょう。
コメント