サウジとイランの対立。
両国の後ろ盾であるアメリカとロシアは
不測の事態を避けるために働きがけているようですが
3日のサウジのイランとの断交に続き、
4日にはバーレーンとスーダンもイランとの断交を宣言。
アラブ首長国連邦(UAE)も駐イラン大使の召還など、
「外交関係の格下げ」を表明。
中東全域で騒動が大きくなっています。
ほとんどの国はスンナ派なので
シーア派のイランが取り囲まれているような情勢ですが、
個人的な心情はイランに肩入れをしています。
ちょっとサウジの高圧的な態度は疑念を持たざるを得ないです・・・
こういう結果分かっていたはず。
ようはサウジはある明確な意図を持ってイランを刺激したのです。
やはり湾岸戦争以降、サウジはアメリカの犬に成り下がったのです。
イランは北朝鮮とともに悪の枢軸と呼ばれ、
核開発の疑惑もあるし怖い国だと勘違いしている人がいますが、
国内は非常に安定しています。
石油埋蔵量世界第3位で、
重要な石油供給国として日本とも深い関わりがあり
ペルシャ絨毯はイランが世界に誇る伝統文化で
手織りの絨毯の生産、輸出では世界最大の国です。
これは全世界で生産される手織り絨毯の4分の3を占める規模とされています。
アメリカと違い日本との関係は良好です。
「おしん」や「キャプテン翼」などのポップカルチャーだけでなく
日章丸事件やアーザーデガーン油田の開発事業などの
日本政府や日本企業の歴史的姿勢は
他の西側諸国とは一線を画すものでイランの親日につながっています。
イランと日本は似た国です。
イスラム(イラン)革命も明治維新も
復古運動であるという側面があります。
イランは革命前、かつてのエジプトのように親米国家で独裁政権でした。
実はイランはイスラム国家ですらなかったのです。
現在、イラン国内の女性は髪をスカーフで隠さなければなりませんが
当時、普通にミニスカートを履いて街を歩いていました。
厳格なイスラム教徒の多いイラン人は
アメリカ化される状況に悩まされていました。
民主化運動と宗教運動が融合し政教一致のイスラム革命となりました。
明治維新がアジアへ波及し、日本的近代化を遂げたように
アラブの春はまさに第二のイスラム革命となる可能性がありました。
アメリカはこれをどうしても避けたいわけです。
本来、イスラム国家は親日です。
キリスト教やユダヤ教のような文明衝突の歴史がなかった事が前提ですが、
ロシアの南下に苦しめられ、
アメリカ帝国主義による度重なる干渉を受ける彼らにとっては
ロシアに勝ち、アメリカにも一矢報いた日本は尊敬されているのです。
トルコのケマル・アタチュルク、イラクのサダム・フセイン
リビアのカダフィ大佐は明治天皇を尊敬していました。
アメリカでは中東で繰り広げられた対テロ戦争を
第二次大戦になぞらえました。
9・11を真珠湾攻撃に見立て、自爆テロを神風に例えました。
そしてイラン・イラク・北朝鮮を悪の枢軸と名指しで批判しました。
軍事目標を目的とした神風と一般市民を目的とした自爆テロは別物
という批判が日本国内にはありましたが
イスラム過激派自身「なぜ自爆テロを起こすのか」という問いに
「カミカゼだ」と答えるといいます。
手法はさておき彼らの信念は当時の日本人に近いものがあったと思います。
エジプトのナーセル大統領は
「アジアには日本がいた。アラブには日本がいなかった」と嘆きました。
アジアは日本の大東亜戦争によって欧米植民地から開放されましたが、
アラブは現在も植民地主義の負の遺産を抱えているのです。
その中心が戦後作られた人工国家イスラエルで今やISILです。
イスラム革命のイランが中東の日本となり得るのか?
日本は支那事変に巻き込まれて最終的にアメリカに負けてしまいましたが
シリア内戦に巻き込まれようとしている
イランはアメリカとどう対峙していくのでしょうか?
日清戦争、支那事変を戦った日本人と中国人の関係のように
イランイラク戦争を戦った
ペルシャ人国家であるイランとイラク以西のアラブ諸国は
地続きながら民族的違いが決定的であることは確かです。
しかし現にイスラム教はアラブ人のみならず、
北アフリカから東南アジアにまで普及しています。
イスラム教は本来平和的な宗教です。
イスラム教が戦争の道具にされず本当の意味で平和をもたらす事を願います。
中東紛争においてアメリカやイスラエルが抗争を利用し続ける限り
スンナ派とシーア派の和解は難しいでしょうが
キリスト教国でもなく、アメリカと本気で喧嘩をして
なおかつ戦後に和解を果たした
日本ならではの提案があるのではないかと思います。
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