日本におけるネット議論の問題。

先日、ツイッターでいつものようになんとなく意見を述べたら
FF外から議論を吹っかけられて、
初めてツイッターで討論もどきをしたのですが、
相手方が感情的になられて一方的にブロックされて終わりました。

自分は初めての体験でしたが、ネットを見ると同様のケースが多く見られます。
論理的に矛盾が生じ、論点をすり替えるならまだしも
最終的に相手を人格否定し一方的に中断する。
これでは建設的な議論にならないのではないでしょうか?
討論と口論は全く別です。
喧嘩がしたいなら他を当たって欲しいし、
相手を論破することをストレスのはけ口にしているのであれば
もっと健全な方法をおすすめします。

まぁFF外から挨拶もなくリプライを寄越すことについては
私個人としては少々礼を欠いていると思いますが、
鍵をかけずに意見を公に呟いている以上、
発言に責任があると思うので、コメントを返したのです。
しかしながら、こういったケースの場合その殆どは
相手の意見を頭っから否定してかかっているので
こちらが懇切丁寧に論拠を説明してもまず理解してもらえません。
正直、結末も予想できたし、めんどくさい事になることを承知で
経験のために自ら地雷に飛び込んでいったんですが…

結論時間と精神の無駄ですw

欧米のディベート文化は
例え意見の違いがあっても意見そのものと人格は別と考えられていますが、
日本ではネトウヨだけではなくサヨクも同様、
イデオロギーに関わらず、ヘイトを撒き散らし、
相手の人格を攻撃し合う場面が頻繁に見られます。
こう書くと日本人が野蛮なだけに思われますが、
日本人自体は「和を以て貴しとなす」でそもそも争いを好みませんので
圧倒的多数の日本人は意見があったとしても議論の場を避けて沈黙しています。
少数の血の気の多い人が発言するので余計に際立つのです。

明治以降、欧米のディベート文化が入ってきましたが、
欧米流のディベートは勝敗をはっきり付けるものなので日本人の肌に合わず、
対立する両者の間に中立的な立場を置いたり勝敗を決めずに終わらせるなど
日本流にアレンジした結果、
日本での討論はディベートで最も大事な論理性が失われてしまったのです。

こうしたことはSNS文化の違いにも現れます。
欧米はfacebookが中心で実名がほとんどですが、
日本はTwitter中心で大抵の人が匿名です。
匿名というクッションを一枚挟むことによって自己防衛しているのですが、
その分気が大きくなり日本人特有の礼節や配慮が失われるのです。
また文章だと日本語の微妙なニュアンスが掴みづらく、
無用なトラブルを招きかねません。
実際に会ってみたら普通のいい人だったという事多いのではないでしょうか?
いっそのことTwitterはfacebook同様に実名登録を強制するのはどうでしょうか?
多くのネット上の犯罪やトラブルが激減すると思うのですが・・・
(と言いながら自分も匿名だけどw)

森友問題で騒ぐ国会を見てもわかりますが、議論の中身ではなく、
何故か大声で怒鳴ってる方が勝ってるかのような錯覚を覚えますよね。
しかし本来、筋の通った真っ当な意見を持っていても
感情的になってはおしまいです。
中国、韓国における民主主義の現状が特殊なのではなく、
やはり日本も道徳的には欧米ではなく儒教が支配するアジアなのです。
日本でノンポリが多く、本当の右翼左翼が育たないのも
戦後70年経っても未だに憲法改正できないのも
敗戦からの戦後教育だけが原因ではなく、
こういった日本の伝統的な談合文化、儒教文化が背景にあるような気がします。
欧米の民主主義が絶対的な正義であるとは認めませんが、
罵詈雑言に溢れる日本のネット社会を見ると、
やはり日本人として自省は必要と感じます。

コメント

  1. Anonymous より:

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    はじめまして、こちらのブログを拝見し
    ��伝統的な談合文化、儒教文化が背景にあるような気がします。
    こちらの意見に共感しコメントさせていただきました。
    儒教・朱子学・陽明学は中国で生まれ日本で完成したという儒学者がいたそうです。
    それは施政者である徳川家が儒教の教えを体現し、我欲に溺れず尊王論を重んじ天皇を自らの王とし仕え、施政者としての滅私奉公に徹し、武士たちの規範も厳しく水戸光圀はハレの日にしか食べられない「うどん」を毎日食べられる町人の暮らしに憧れたほどですw
    こうした先人たちの重んじた儒学は現在は日本の「道徳・価値観」して深く刻まれている気がします。
    近年でこそ公務員は安定した職業として人気ですが20?30年前は割に合わない仕事として敬遠されてました。
    それは公務につく以上は滅私奉公に徹するという思想が息づいていた証でもあります。
    しかし今日では肝心の儒学を学ぶ機会を奪われてしまったため公務員特に政治家に「滅私奉公」の意味を知る人はいないのが残念でなりません。
    ただ敗戦後も日本が日本として残れたのは、日本に儒学や教育が浸透しきっていたからでしょうね。
    思想と教育の破壊は無理だと悟ったのでしょう。
    そのかわり日本ほど教育の浸透していない中国では毛沢東を通じて儒学・朱子学・陽明学という教育と文化を破壊されてしまいました。
    これは、儒学を廃し日本との思想的共有を分断し、日本のような脅威を作らないために欧米が作り上げた傀儡ではないかと推測しています。
    長文失礼いたしました。
    管理者様が深い思慮を以って歴史を学び、熟考し憂国を謳う姿を嬉しく思いつい長々と私見を述べてしまいました。

  2. マンマルX より:

    SECRET: 0
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    >
    はじめましてコメントありがとうございます。
    日本での儒教は普通宗教とは考えられていないので忘れられがちですが
    仏教より前に日本に入り、長期に渡り影響を受け続けたので
    日本人の深いところで息づいていると思います。
    おっしゃるとおり儒教にしてもやはり良い面と悪い面がありますね。
    欧米人(GHQ)は表面的なことに囚われて神道指令などとめちゃくちゃな事をやりましたが、
    日本のこの複雑で多層的な精神性を最後まで理解できなかったのかもしれません。
    韓国は朝鮮戦争を経て東アジアでは特異なキリスト教国になりましたが、
    特に色濃く儒教の影響が残っていますし、
    他国から影響を受けやすい大陸中国では
    共産党による文革で多くの宗教、哲学が荒廃したものの
    国名からも分かるとおり中華思想という権力思想は維持しています。
    中華人民共和国建国の背景にはソ連コミンテルンが絡んでますから
    欧米が作り上げた傀儡という指摘は当たってるように思いますが、
    この中華思想があるからこそ単なるソ連の手下にならず、
    独自性を発揮して独立を維持してきたとも言えるし
    欧米人よりも一枚上手、なかなか強かだなと思ってしまいます。
    比較的儒教の影響が少ない日本でさえ
    明治政府が儒教的道徳精神を排除しようとして
    結局、逆に教育勅語に取り入れるぐらいですから
    徳川政権の鎖国然りアジア諸国の海禁政策によって
    こうしたアジアの伝統的な思想が守られ、熟成されたようですね。

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