日本古代史①~日本のあけぼの~

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旧石器時代

日本列島はユーラシア大陸の東の果ての海上にある弓状に連なる島々です。
どのようにして我々の祖先が海を隔てた日本列島にやってきたのか?

日本列島において確認されている人類の歴史は、
約10万年ないし約3万年前までさかのぼれます。
私たち人類の直接の祖先である現生人類は20万年前ごろアフリカに誕生し、
約10万年前頃、アフリカを出て世界中に離散。
アジアではヒマラヤ山脈を挟んで南北に分かれました。

最初にやってきたのは
マンモスを追って北のシベリア地域に移動した人類です。(北方系
約3万年前に氷河期が始まると、マンモスは草原を求めて動き出します。
日本はその頃、海面が下がり、大陸と陸続きになって、
その上、厚い氷で覆われる事もなく、草原が広がっていたために、
マンモスやナウマンゾウが南下、
それを追ってシベリアから日本列島に人がやってきました。
(バイカル湖付近に居たブリヤード人ではないかと言われています)
彼らは石を打ち欠いて作った打製石器を使って
狩猟・採集など、原始的な生活を営みました。

最近の研究では、氷河期の最寒期にも
津軽海峡や対馬海峡には海が残っていた事が分かってきて、
船を使わないと往来できない伊豆諸島・神津島産の黒曜石が
関東地方の後期旧石器時代の遺跡で発見されていることなどから、
日本人の祖先はに乗って
日本列島にやってきたのではないかとも言われています。

縄文時代(新石器時代)

約一万年前に氷河期が終わると、世界規模で温暖化が進み、
それまでの食料源であった大型動物が減り農耕・牧畜が始まった。
これは環境の厳しいエジプトやアジアの大河周辺では
文明を発生させる原因になります。

日本列島はこの時期、海面が上昇。地形は島の形に戻りました。
気温が上昇し、暖流が日本海に流れ込んだので
草原だった日本列島は全土が森林に覆われました。
日本列島は自然が豊富で恵まれていたため、
大規模な農耕や牧畜を始めるには至りませんでした。

そして、東南アジアなどの南方からも人々がやってきて、(南方系
二つのアジア人の流れは東の果ての日本列島でついに合流
この頃は打製石器に代わり磨製石器が使われました。
しかし、縄文時代と旧石器時代を分ける大きな要因は土器の発明です。

Jomon Vessel with Flame-like Ornamentation, attributed provenance Umataka, Nagaoka-shi, Niigata, Jomon period, 3000-2000 BC - Tokyo National Museum - DSC05620
深鉢形土器(火焔型土器) 縄文中期
(出典:Daderot)

昨今の教育の場ではまったくと言ってもいいほどに説明されませんが、
この時代の名の由来でもある縄文土器は世界最古級の土器です。
縄文土器は一万数千年も前から作られており、
世界中の他の地域から出土する土器より遥かに古く、
エジプト、メソポタミア、インド、中国などで文明が誕生する前の事なのです。

土器の出現はオーストラリアの考古学者ゴードン・チャイルドによれば
「人類が物質の化学的変化を利用した最初のできごと」であり、
物理的に石材を打ちかいてつくった石器とはまた異なる人類史的意義があります。
そういう意味でも、世界最古の土器が日本で作られたという事は特筆すべき点で、
技術立国日本の源流を見ることもできますし、もっと誇るべき点です。

また、多くの人が縄文時代を
遥かに原始的な時代だと思い込んでいる人が多いですが
1992年に発掘された青森県の三内丸山遺跡は、
大きな集落を持ち、自然の恵みのみ依存した採取活動ではなく、
集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽する
生活を送っていた事が明らかになりました。
一年草を栽培していた可能性もあり、居住者は数百人と言われています。
これは考古学的大事件で、
東北地方に「四大文明」にも匹敵する文明があったのではないか
と言われています。

140913 Sannai-Maruyama site Aomori Japan01bs6bs6
(出典:663highland)

縄文時代の約一万年間は階級が存在せず、
人々は争うこともなく、平和に過ごしたと言われます。
日本列島の外に目を向けると、四大文明が華やかに開きますが、
それらは強烈な階級支配の文明であり、最終的に滅んでしまいます。
縄文文化(日本文明)は自然との調和によって育まれ、
なだらかに次の時代へと受け継がれました。

これは日本人の穏やかな性格や、柔軟な日本文化の基礎になりました。
日本人は日本を生んだ風土、自然に感謝し、
各地に神社を作り自然を保護しているのです。


調べて驚いたのはこの旧石器時代と縄文時代が
1998年の「ゆとり教育」による学習指導要領改訂で
小6の歴史授業では教えない事になっていたらしい…(?_?)
歴史は弥生時代から教えればいいと…
ちなみにゆとり教育を推進してきたのが日教組です。

旧石器時代や縄文時代が
日本人の形成を語る上で非常に重要な時代である事は上記で明らかです。
日本人がどこから来たのか?それは日本人永遠のテーマです。
日本のあけぼのは世界的に見ても
まだまだ多くの事が解明されてなく謎が多く残っています。
原始時代はある意味、
戦国時代や幕末よりも大きなロマンがあると自分は思います。

それにしても日教組は何故教えなかったのか?
どういう意図があったのか?謎であるw
世界最古の土器の事を教えたくなかったのだろうか?

コメント

  1. patton より:

    SECRET: 0
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    この縄文式土器が世界一古いというのは疑問視されているんですよね。
    まことに不名誉なことだ。
    学会では「文明がなかった日本にそんな技術があるはずがない」とね。
    古いものを調べるときによく使われる放射性炭素年代測定。
    これに欠陥があるんじゃないかともいう学者もいるくらいだ。
    プレートテクトニクスで世界は昔一つであったことが証明されている。
    これで興味深いのが、当時人類が使った
    世界共通語があったのではないかという説がある。
    その証拠に世界のあちこちで同じような文字と言ったらいいのか、
    共通点を持った不思議な文字が彫られているのが発見されている。
    こういうロマンあふれる教育が教えられていないというのは
    日本人にとって不名誉なことだ。
    日教組の自虐史観をどうにかしたい。

  2. マンマルX より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    > pattonさん
    世界最古の土器やら世界最古の王朝という事実を素直に謳えば
    愛国心や歴史に対する関心は自然と芽生えるというのに、
    それをしてこなかったからこそ
    天皇の必要性を感じない若者や歴史嫌いが生まれたんじゃないかと思います。
    教育のあり方としてどうなんでしょうかね?

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