二つのダッカ事件。

1日、バングラデシュの首都ダッカ
武装集団によるレストラン立て篭り事件が起こりました。
武装集団は客を人質に取りましたが、
現地治安部隊が突入し銃撃戦の末制圧。
20人の死亡者のうち、7人が日本人でした。

このテロで思い出されるのがチュニジアで起きたテロです。
ここでも多くの日本人が犠牲になりました。
チュニジアでは観光客が集まる博物館が狙われましたが、
今回も各国の大使館が集まる高級地区でした。
外国人が狙いだったのは明らかです。

ISILが犯行声明を出していますが、
今のところ無関係のイスラム過激派集団と思われます。
ISILは実際には関連のないテロ事件まで
積極的に関与を仄めかしていて、
イスラム国の勢力が拡大しているとアピールしている様なきらいがあります。
いずれにしろ世界中のイスラム圏で
外国人を狙ったテロが多発しているのは事実です。

バングラデシュは政情も比較的安定していたのですが、
大量移民を受け入れているヨーロッパと違い、
アジアにおいては皮肉にも
パキスタンやインドネシアなどのイスラム圏からテロ攻撃を展開するようです。
こうしたことで世界中を疑心暗鬼にさせて
国際的なブロック化を目論んでいるような気がします。

Flag of Bangladesh
日章旗を参考にしたとされるバングラの国旗

バングラデシュ
東パキスタンとしてイギリスから独立したイスラム教の国です。
国旗が日の丸とよく似ていてる親日国ですが、
日本との関係はそれだけではありません。
1977年に日本の極左テロ組織日本赤軍が起こした
ダッカ日航機ハイジャック事件の舞台でした。

赤軍はメンバーおよびシンパの釈放と身代金を要求し、
当時の福田総理は「人命は地球より重い」として超法規的措置によって
テロリストの要求を呑みました。
多くのテロリストを再び世界に放したため、
「日本はテロも輸出するのか」国際的非難を浴びました。

Douglas DC-8-62, Japan Airlines (JAL) JP6862131
事件機のJA8033(旧塗装。1969年、ホノルル国際空港において撮影)
(出典:Jon Proctor)

赤軍が日本政府を交渉相手にせず、バングラデシュ政府が対応していたため、
この隙に反政府軍がクーデターを決行、
11人の政府軍が殺害されるなどバングラデシュ中枢は大きな混乱となりました。

この事件を前後して世界中で対テロの特殊部隊が作られます。
日本でもSATが立ち上げられ、
1995年には全日空857便ハイジャック事件で強行突入に成功します。
こうして人質事件では犯人の要求を呑むよりも
強行突入することが増えていきます。

あれから40年近く経過し、テロの国際化は進みました。
在外邦人がテロに巻き込まれることは珍しいことではなくなりました。
2015年、シリアで起きたISILによる邦人拘束事件では
為すすべもなく、
ただ同胞が殺されるのを指をくわえてみることしかできませんでした。
日本は長年に渡り、憲法や法律によって
軍事力や警察力を海外で展開することができず、
現地警察や軍に委ねるしかなかったのです。
こうした中で平和安全法案が成立。
武器携帯の海外派遣が事実上可能となりました。

今回のケースでは身代金要求もなく
コーランを読めない者が片っ端から殺されたようなので
交渉の余地もなく、日本政府の介入はなかったでしょうが
近い将来、日本の特殊部隊が海外で邦人救出作戦を行う日は来るでしょうか?
今までどおりただ見ているだけなのか?
それとも海外渡航を禁止して鎖国をするのか?
この問題が出てくる時点で
9条では在外邦人を救うことができないことは明白です。

何故か海外で日本人がテロに巻き込まれると
野党は総理大臣の責任を追及しますが、
このような的外れな議論をしている内は
チュニジアやバングラデシュのような出来事はこれからも起こり続けるでしょう。
真正面からテロに向かい合う努力が必要です。
二つのダッカ事件を経て、何らかの答えを出す時期が近づいていると思います。

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