パラオの国旗は海面に浮かぶ満月である。 月は太陽の光で輝く。 |
戦後70年経った今年
天皇皇后両陛下の「大東亜戦争の激戦地」パラオへの訪問が実現した。
供花のために訪れたペリリュー島では、学校、職場が休日となり
全島民600人で天皇皇后両陛下を出迎えた。
ペリリュー州では4月9日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」
として州の祝日に法律で制定している。
ロマン・トメトゥチェル国際空港を訪れた両陛下 (出典:海上保安庁) |
パラオは世界一の親日国と言われている。
一部の州では日本語が公用語となっており、
日本語由来の言葉が数多く残っている。
総人口の4分の1が日系人であり、
パラオを含めた太平洋諸国では日系人の大統領が何人もいる。
- ハルオ・レメリク – 初代パラオ大統領
- クニオ・ナカムラ – パラオ第5代大統領
- トシオ・ナカヤマ – ミクロネシア連邦初代大統領
- マニー・モリ – ミクロネシア連邦第7代大統領
- アマタ・カブア – マーシャル諸島共和国初代大統領
- イマタ・カブア – マーシャル諸島共和国第2代大統領
日本委任統治時代のコロール |
実はこれら太平洋諸国は戦前、日本領であった。
パラオを含めた西太平洋上にある島々(ミクロネシア地域)は
大航海時代を経た1885年にスペインの植民地となり
その後、ドイツ領となった。
第一次大戦、日英同盟により連合国として参加した日本は
中国山東省青島や太平洋地域のドイツ軍を攻撃、これを占領した。
パリ講和会議にて、パラオを含む赤道以北のミクロネシア諸島
(グアムを除く)は南洋諸島として日本の委任統治領となった。
日本は統治のためにパラオのコロールに南洋庁をおいた。
スペインやドイツの統治は産業振興などの搾取のみだったが、
日本の統治によって道路、水道、教育などのインフラが行われ
特にパラオは周辺諸島の中核的な島として繁栄した。
トラック島の公学校(1930年頃) |
連盟脱退後も日本は統治を続け、
委任統治の規則の制約から逃れた日本はここに軍事基地を建設。
大東亜戦争時、太平洋地域の軍事的拠点とした。
戦争末期、アメリカはフィリピン奪還のため
要所となるパラオのペリリュー島に上陸した。
日本軍は事前に島を要塞化し洞窟陣地などを利用したゲリラ戦法により
日本軍の兵力の約4倍、航空機200倍、戦車10倍、
重火砲100倍以上の軍事力のアメリカ軍に対して善戦し、
戦死者 1,794名、戦傷者 8,010名の被害を与えた。
当初アメリカが2、3日で落とせると見込んだ戦いは72日間に及んだ。
この戦法は硫黄島の戦いや沖縄戦でも使われ数的有利なアメリカ軍を苦しめた。
ペリリュー島の戦いにおいて日本軍守備隊は
「サクラサクラ・・・」の電報を打ち玉砕。
しかし、本島に強制疎開させていたため現地住民の死傷者は0だった。
戦後、パラオなどの南洋諸島は
日本の委任統治領からアメリカの信託統治領になったが、
アメリカはこの地域を核兵器の実験場として使用した。
アメリカは神社を破壊し、反日教育を行ったが浸透しなかった。
1994年パラオは信託統治領としては一番最後に独立した。
現在、パラオは日本と同じ島国として共通の問題を抱えている。
それは「中国」である。
パラオ近海でも近年中国の活動が活発化している。
パラオは中国軍の言う第2列島線にあたる。(小笠原諸島~グアム~パラオ)
2012年4月、中国はパラオの領海侵犯を行った。
中国の船は漁船を装っていたが工作船と判断、押し返そうともみ合った。
中国船はしつこく領海に留まろうと抵抗したため、
パラオ巡視船は発砲し中国船員1名が死亡。
その他25名の中国人を逮捕し拘留した。
中国へ一人1000ドルの罰金を要求し、
罰金を支払わせた後17日拘留し釈放した。
パラオという小さい国でも、毅然とした態度で中国に立ち向かった。
2010年尖閣事件とは大違いである。
日本やアメリカなどの大国が政治的理由で
中華民国(台湾)と国交を断絶、中華人民共和国と国交を結んだが、
パラオは今も中国からの圧力に対して台湾との国交を維持している。
パラオは自前の軍隊を持たず
アメリカに防衛を委ねているが駐屯部隊が存在しない。
中国の海洋進出に対抗するため米軍の駐留を検討しているという。
一方の沖縄では基地を無くそうという動きがある。
本当の味方、敵がハッキリしてきた。
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