エネルギー安全保障という視点

日本はアジアの東の端にある
四面を海に囲まれた狭い島国でありながら
1億2千万人を超える人口を持ち
世界第3位の経済大国である。
皇室を中心とした世界でも類を見ない
長い固有の伝統・文化を持ち
人々は豊かな自然を神と崇め共存してきた。
一方、海を隔てた外国文化を適度に吸収し、
技術も発展させてきた。
自動車や電化製品などの工業品、
化学分野において高い技術力を保有するが、
発展の下になる鉱物資源は他国に比べて少ない
このハンデを補うために
日本人の労働力は欧米に比べ高い。

この事に異論はないだろう。

つまり我々が平和で安定した暮らしを続けていくには
エネルギーの確保」が重要である。
現在、日本は世界4位のエネルギー消費国でありながら
エネルギー自給率はたったの4%
エネルギーの80%以上を海外に依存し、
その約半分をしめる石油は99%以上を輸入に頼っている。
原子力発電に使用するウランもほぼ全量を輸入

明治以降の日本の根本的問題はエネルギー問題に他ならない。
鉱物資源輸入→工業生産・技術開発→工業品輸出
このサイクルが基本であり
日本は優れた工業品や人的資源を輸出する事で資源を確保する。
逆に言えば島国日本を制圧するには海上封鎖で十分という事だ。
そのため明治以降、官民一体となって
富国強兵政策を推し進める中で海軍力向上を目指して
最終的には戦艦大和や機動艦隊を持つ世界三大海軍にまでなった。
エネルギー輸入が途絶えた場合は
現状の生活レベルを維持できなくなり、
餓死者が続出し貧しい国家に転落するだろう。
この危機に直面した事が過去2度ある。

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第1の危機

1930年代、中国大陸における日米の利権対立の末、
日本軍の仏印進駐に対する制裁として
ABCD(米英中蘭)包囲陣と呼ばれる対日経済制裁が行われた。
これにより外国から日本に一滴の石油も入らなくなった。
当時、石油輸入の8割
工業原材料となる鉄鉱石の半分以上アメリカに依存しており
アメリカは石油、鉄鉱石の全面禁輸に加え対日移民も禁止したため
本土の増えすぎた人口は満州朝鮮などに流れた。
日本の備蓄エネルギーは2年程度で底をつくという
国家危機を前に日本は
独自にエネルギーを確保するため東南アジアに進出し
東南アジアを植民地にしていた米英蘭と戦う事になった。
つまり産油国を直接支配下に置く事で
エネルギー問題の解決を図ったのである。

先の大戦は「侵略か自衛か」で議論のあるところである。
ちなみにほぼ日本単独で行われた大東亜戦争は
個別的自衛権の行使である。
結果は周知のとおり、
原子力と言う新たなエネルギーを使った
新型爆弾によって日本は敗れた。
昭和天皇の英断により、民族滅亡、国体崩壊は免れたものの
国土は焼け野原となり、国民は貧しい暮らしを強いられた。
軍隊は解体、米軍の進駐を許しアメリカの属国となった。
軍事転用に繋がる重工業は禁止され日本国憲法が作られた。
占領当初アメリカは牙を抜かれた日本を
文字通り「貧しい農業国」にするつもりだったが、
朝鮮戦争が勃発したため再軍備を認めることになった。

第2の危機

主権回復後もソ連の脅威のため
安保条約により米軍駐留が続いた。
その間に日本政府は経済活動に全力を注ぎ
ついに日本は奇跡の高度経済成長を迎えた。
国民の暮らしの質は年々向上していった。
戦後、日本の石油の輸入先はアメリカに利権のある
サウジアラビアなど親米中東諸国に集中した。
現在も日本の石油輸入先の8割は中東湾岸諸国である。
日本の経済発展を支えたのは中東の石油だった。

しかし二つ目の危機は突然起こる。
戦後間もなくイスラエルとアラブ諸国の間で中東戦争が勃発。
中東のアラブ産油国は
安く大量に中東の石油を買いあさった米英メジャーに対抗し
石油の国有化を宣言し、石油価格は高騰。
イスラエルを支援する国家に対して輸出を制限したため、
1970年代前期、日本に「オイルショック」を与えた。
国民はトイレットペーパーを探して大混乱。
高度経済成長はオイルショックによって終わった
また、イラン革命によって
1980年代前期にも第二次オイルショックが引き起こされ
日本の景気は後退した。
「省エネ」という言葉が生まれ街からネオンが消えた。
化石燃料はいずれ底をつくと言われ、現在に至るまで
各国は石油を巡って中東を舞台に利権争いを続けている。

その日本を救ったのは皮肉にも一度目の危機で
壊滅的な被害をもたらした原子力であった。
少ない費用で莫大なエネルギーを生産する
原子力は日本にとって夢のエネルギーだった。
アメリカはソ連に対して
核の優位を保持するために核の平和利用として
友好国に原発開発を推し進め、日本もそれに乗った形である。
日本は多くの原子力発電所を国内に建設
石油の依存度を下げる事でオイルショックに対応した。

第3の危機の到来

二度の危機を乗り越えてきた日本だが、
問題が解決されたわけではない。
オイルショックを受けて
田中角栄は対米従属的なエネルギー外交を見直して
ソ連や中国に近づき、東南アジアに石油基地を作ろうとしたが
アメリカの妨害を受けロッキード事件で失脚した。
また革命後のイランと共同で石油基地を作る計画があったが
これもアメリカの妨害を受けて破談となった。(アザデガン油田)

一方の原子力も万能ではない。
チェルノブイリ原発事故はソ連の崩壊と共に衝撃を与えた。
世界で原発の安全性が疑われる中、
日本でもついに重大事故が起きた。
2011年の東日本大震災での福島原発事故。
日本のすべての原発はその活動を停止した
福島は広島、長崎、第5福竜丸に続く第4の被曝だと
これを期に反原発運動が強まった。

天災なのか人災なのか?はたまた陰謀か?
結論を述べるにはまだ時期尚早だが、
これが第3の危機」の到来である事には違わない。

中東情勢もけして油断できない。
ソマリア沖の海賊イスラム過激派のテロの脅威に晒されている。
しかも自衛隊は海外派遣を禁じられており
タンカーの護衛が出来ないので多国籍軍に守られているありさまだ。
日本の石油タンカーを守るため
外国人が血を流していることを国民は知らない。
タンカーが沈められたらオイルショックの再来だ。

中東から日本の港までシーレーンは日本の命綱である。
タンカーはホルムズ海峡からアラビア海、インド洋に出て
マラッカ海峡を経て南シナ海、バシー海峡、東シナ海を通る。
そこは南沙諸島や台湾、尖閣沖縄がある海域であり
海賊のみならず中国の脅威もある。
エネルギーを自給できない島国日本は
原発に頼るも石油に頼るもリスクを伴う。

「自衛隊海外派遣」「集団的自衛権」「原発問題」を語る前に
日本と言う国家の状況を冷静に分析しなければならない。
鎖国して貧しい農業国に戻るというなら別だ。
日本は幸い自然に恵まれ水産資源はある。
日本が今と同様の生活水準。
そして先に進むというのならエネルギー問題は逃げられない問題だ。
先の大戦のような破滅を回避し
これからも変わりない平和で豊かな生活を望むのであれば
覚悟もしなければならない。
平和は神から与えられたものではない。自ら勝ち取った先にあるものだ。

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