スパイ・ゾルゲ

Richard Sorge
ソ連のスパイだったリヒャルト・ゾルゲ

今年、8月に1945年の敗戦から70周年を迎える。
世界各地で記念行事が行われ、
戦勝者である連合体制が続いている以上、
あらゆる国が日本、ドイツなど敗戦国への攻勢を強めるのは必至である。
特に中韓は領土問題含め
反日攻勢はピークを迎えるだろう・・・(´・ω・`)

敗戦国である日本では戦勝国側の歴史感(太平洋戦争)
によって長年戦後教育が行われてきた。
サンフランシスコ講和条約で主権を回復した時に
真っ先にやらなければならなかったのはこの歴史感の見直しであったが
冷戦下という状況でソ連と対峙しアメリカと同盟を結んだ関係上
日本は長らくそれを棚に上げ続けていた。
安倍内閣での戦後レジームの脱却憲法改正と言う流れの中で
歴史感の見直しは絶対的に重要である!
そもそも今の「日本国憲法」は懲罰的意味を込めた
アメリカの押しつけであり、憲法の素人が1週間で作成したものだ。
自民党は本来「自主憲法制定」を目的として結成されたのだ。

その一方で何もかも戦前の理想にすがれば良いという訳でもない。
大東亜共栄圏の建設という日本の崇高な目的は確かにあったが、
東京大空襲や広島長崎の原爆投下。沖縄戦。満州朝鮮の赤軍侵入など
本来守るべき銃後の婦女子をも戦火の渦に巻き込んでしまった。
それは戦地となったアジア太平洋地域も同じである。
これは真摯に反省すべきで、
やはり戦争と言う手段は紛争解決としては最終手段でなくてはならない。

確かに四方八方から日本に迫ってきた植民地主義と言う
世界史的な大きな動き対外的圧力には
自衛手段として戦争しかなかったかもしれないが、
戦争によって利益を得る者がいて、
それが戦争という決断を最終的に下す原因となったのであれば
それを根絶しなければならない。

第二次大戦の最大の勝者は共産主義者である。
敗戦国の日本やドイツは空襲で国土は焼け経済は崩壊した。
一方の戦勝国のイギリス、フランスも勝ちはしたが、
第一次大戦時と同じく自国が戦場となった。
アメリカは国土の被害はほとんどなく戦後も大国の地位を保持したが
多くの若者が戦地に赴き、血を流した割には
日本や日本の支配下にあった南朝鮮、南洋諸島を手にするだけで
日本は資源が少なく南洋諸島も核実験場としてでしか利用しなかった。
目指した中国大陸は支援していた国民党でなく共産党により統一され、
1950年朝鮮戦争1960年ベトナム戦争など
今まで日本が担ってきた共産主義との対決を肩代わりする事になった。
ソ連は第二次大戦後、東に西に大きく勢力を伸ばし、
解放したドイツ支配下の東欧諸国を衛星国として共産化
アジアの独立運動の中に混じって中国、北朝鮮、ベトナムの共産化に成功した。

大東亜戦争開戦の大きな原因は
アメリカの出した「ハル・ノート」の存在と
「南進論」という日本の国家戦略がぶつかった事にある。
この二つの裏でコミンテルン(ソ連)
大きく関与していた事が近年明らかになっている。

Hotsumi Ozaki
朝日新聞社で世論を扇動した尾崎秀実

当時、日本では共産国家ソ連と対決する「北進論」
資源豊富な欧米の植民地である東南アジアに進む「南進論」
の二つの国家戦略が存在し
特に陸軍は日清日露戦争など伝統的に「北進論」を持っており、
これはシベリア出兵から満州国建国、ノモンハン事件など
中国大陸(満蒙)での政策に影響を与えていた。
大東亜戦争直前、ソ連は独ソ戦をしており
ドイツの同盟国で防共協定を結んでいる反共国家の日本に
東から攻め込まれる不安を抱いていた。
そうなるとソ連は西と東と挟み撃ちにあい二面戦を強いられてしまう。
ドイツ人の共産主義者リヒャルト・ゾルゲ
ドイツ記者を名乗り日本国内においてスパイ活動を行っていた。
ゾルゲは近衛内閣のブレーンで日中戦争を推進した
朝日新聞記者で共産主義者尾崎秀実に接近してソ連のスパイ組織を形成した。
ゾルゲ諜報団は「北進論」を遠ざけ
「南進論」へ向かうように日本政府に働き掛け
1941年の4月13日日ソ中立条約を実現させたとされる。

Matsuoka signs the Soviet–Japanese Neutrality Pact-1
日ソ中立条約調印時の写真。中央がスターリン。
著名をする松岡洋右外務大臣の隣にいるのが尾崎秀実である。

ゾルゲ諜報団は1933年から1941年まで約8年
日本の国家機密を随時ソ連本国へ報告していた。
結果、東南アジアで利害が対立する米英蘭との戦争となった。
朝日新聞は強硬に鬼畜米英を宣伝し軍部を支持、開戦を主張し国民を扇動した。

しかし日本の特高警察の捜査も優秀で1941年の10月、
開戦の二か月前に近衛内閣が退陣するタイミングで
ゾルゲや尾崎などの多数の朝日新聞記者、
関係者を一斉に逮捕し、治安維持法違反などで死刑となった。
ソ連は日本側の交換釈放の提案も受け入れずゾルゲを見捨てた。
一方のアメリカのルーズベルト政権の内部にも
複数の共産主義者が混じっており
ハル・ノートを製作したのも国務長官のコーデル・ハルではなく
ソ連のスパイであったハリー・ホワイトであった事が
1995年に公開された機密文書「ヴェルナ文書」で明らかになった。
また満州事変の一因となった張作霖爆殺事件
支那事変の原因と言われる盧溝橋事件
ソ連、中国共産党の策略であったという説が浮上してきている。
日本は早くから共産党と戦っていたが、
アメリカは戦後になってからレッド・パージ(赤狩り)を開始した。

開戦前、日本、アメリカ共に政府内部に共産主義者が暗躍していたのだ。
そして開戦当初は政府よりももっぱら国民が好戦的であった。
それを扇動したのはマスコミであった。
再び、戦争の悪夢を呼び起こさないためにも
この情報戦を戦い抜かなくてはならない。
「慰安婦誤報」朝日新聞はまた過ちを繰り返した
その裏にどの勢力が関与しているのか?
「報道及び言論の自由」を盾にして、テレビや新聞の裏側に誰がいるのか?
そういう所にまで注意を払わなければ
何者かの利権のためにあっという間に平和は崩れてしまう。
民主主義とはある意味で非常に脆い(´・ω・`)


ゾルゲ事件は「スパイ・ゾルゲ」として
2003年に篠田正浩監督により映画化されている。
三時間越えの大作だが時間のある方はぜひ。

  

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