日本近代史⑩~戦後の世界構造~

戦後の日本周辺地図

日本の戦後統治は中央政府が存続していたこともあり、
イギリスが中国・四国地方を担当した以外は
ほぼアメリカによる独占的な占領統治となり、
ドイツのように米ソ二大国による大規模な本土分割にはならなかったものの、
明治以降、日本人が血と汗で勝ち取ってきた海外領土は全て手放すことになりました。

満州はソ連に占領され、
共産党の影響力を広めた末にカイロ宣言に従って中華民国へ返還されます。
南洋諸島アメリカの信託統治へ、
朝鮮半島は独立を前提に北緯38度線で分けて米ソの信託統治へ、
最初の植民地だった台湾中華民国へ割譲されます。

南樺太は千島樺太交換条約で平和的に日本領になった千島列島
そして江戸時代の日露和親条約時から固有の領土だった
北方四島を含めてソ連が占領しました。
ソ連は東アジアにおいて、わずかな犠牲で多くの利益を獲得しました。

日本は1951年のサンフランシスコ講和会議で南樺太、千島の主権を放棄し、
西側諸国とは平和条約が結ばれますが、ソ連は会議に参加しつつも
中国代表として中華人民共和国を招致しなかったことを不服として著名しませんでした。
1956年に日ソ共同宣言で戦争状態の終結と国交正常化がなされ、
日本は国連に参加しますが、領土問題は棚上げされました。
平和条約締結後に歯舞色丹の二島を譲渡すると明記されましたが、
現在においても後継国ロシアとの間で平和条約は結ばれていません。
日本の地図では南樺太、千島は所属未確定とされ、北方領土はロシアの不法占拠としています。

一方、東京の小笠原諸島トカラ列島以南の奄美諸島や沖縄
本土から切り離され、米軍による軍施政下に置かれました。
アメリカは来るべき共産主義との対決のため沖縄を軍事的拠点とし利用すべく
「琉球政府」を作らせ、日本から独立させようと画策しますが、
現地住民の日本帰属意識が高く難航します。
満州に地盤を固めた毛沢東率いる共産党は第二次国共内戦の末、
中国大陸から蒋介石国民党を追い出し、1949年に中華人民共和国が誕生、
アメリカが支援していた蒋介石は台湾に逃れ台湾海峡を挟んで対峙、
1950年にはソ連の支援する北朝鮮が
朝鮮統一を企てて南側の韓国に侵入、朝鮮戦争が勃発。
また東南アジア各国も相次いで独立戦争が発生。
冷戦構造の中で地域の中間位置に存在する沖縄の重要性はさらに高まっていました。

GHQは当初、日本が戦前に捕らえていた共産党員などの政治犯を解放し、
戦前の指導者や有力者を公職追放
日本が再びアメリカの前に立ちはだからないように憲法を変え、
9条によって軍事力を放棄させ、貧しい農業国にしようと企てましたが、
アジアにおける共産主義の猛威により警察予備隊(後の自衛隊)を創設して再軍備を認め、
公職追放の対象は共産主義者へと方針転換しました。(逆コース)
日本は西側陣営の共産主義の防波堤となっていきます。
サンフランシスコ講和条約を経て1952年に日本の主権が回復。
1960年には現在の日米同盟の根幹を成す日米安保条約(新安保)が結ばれ、
以降順次本土復帰を果たし、1972年に沖縄も本土復帰となりますが、
沖縄の米軍基地は存続する形となりました。

この動きはソ連を刺激し、一方的に外国軍隊の撤退を二島返還の条件に加えます。
日本側も日ソ中立条約や56年宣言など何度も約束を破るソ連に不信感を持ち、
四島一括返還に固執するようになります。
こうして平和条約、北方領土返還交渉は停滞してしまいます。
北方領土や沖縄の置かれた現状を考えると日本はまだ戦争中であるとも言えそうです。

日本が戦争に負けた事によってアジアの歴史は大きく変わりました。
北方領土問題、沖縄問題、朝鮮問題、台湾問題、チベット問題・・・
そのほとんどが日本の敗戦をきっかけとして起こり、今も解決されていません。
日本が理想とした大東亜共栄圏が完成すれば起こらなかった問題でしたが、
アメリカはソ連と手を組み反共の雄であった日本の軍事力を叩いてしまいました。
その結果、中国大陸は完全に共産化され、
アメリカは日本本土決戦における出血は避けたものの
日本が明治以来担ってきた
ロシア、中国、そして共産主義との対決を肩代わりすることになり
さらに多くの血を朝鮮やベトナムで流さなければなりませんでした。
朝鮮戦争で東京から連合軍の指揮を執ったGHQ最高司令官マッカーサーは
日本の戦争目的が自衛であったことを認めています。
マッカーサーは中国義勇兵の介入を受け、
執拗に中国東北部(満州)への原爆使用をトルーマンに訴えた事で解任されます。

IncheonLandingMcArthur
仁川上陸作戦を指揮するマッカーサー元帥(朝鮮戦争)
Napalm
南ベトナム解放戦線の拠点で炸裂するナパーム弾(ベトナム戦争)

また、日本の戦争目的のもう一つの柱であった
東南アジアの独立に関してはその多くが実現しました。
戦後になり、再植民地化を企みインドネシアにオランダが、
ベトナムにフランスがやってきますが、
日本統治時代に受けた独立に向けた様々な教育や
軍事指導によって目覚めた彼らはその多くを返り討ちにしました。
そこには残留日本兵が前線で戦う姿がありました。
「大東亜共栄圏構想」が単なる日本版植民地主義ではなかった証左でしたが、
植民地支配が長く民族意識が薄れ、
アメリカから既に独立を約束されていたフィリピンや
政治的要因で形式上フランス(ヴィシー政権)統治を認めていたベトナムなどでは
抗日ゲリラが活躍したことも確かでした。

いずれにしても日本が大東亜共栄圏と呼び、統治していた地域において
独立運動や共産主義双方にとって日本の軍事力は大いに利用され、
大東亜戦争が国家独立の一大転機となったことは確かでした。

日本は戦後、自由主義の西側陣営に組み込まれ、アメリカの属国に成り下がりますが、
日本の意志は東南アジアから中東、アフリカに伸び、
多くの国家が独立を果たし、欧米植民地主義は完全に崩壊します。
第3世界はまさに日本が生み出した大勢力となり、
「大東亜共栄圏」が理想とした形は
独立戦争とベトナム戦争を経て誕生した「ASEAN」に引き継がれる形となったのです。

ASEANの旗の中に日の丸

アジア、アフリカの植民地を放棄し、二度の世界大戦で疲弊したヨーロッパでも
軍事的にはソ連に対抗し、経済的には日米に対抗するために地域統合が進み、
大東亜共栄圏に着想を得てEU(ヨーロッパ連合)が誕生します。
かつての宗主国も第3世界を無視できなくなりました。
民族自決の精神は日本の戦争によって
白人中心からようやく全人類に適応されることになりました。
これはフランス革命、産業革命、ロシア革命に次ぐ大東亜革命とも言うべきものでした。

ベルリンの壁とソ連が崩壊したことにより、冷戦が終わりEUはますます広がります。
しかし、東アジアにおいては朝鮮戦争が決着せず
中国共産党も健在のため、地域統合も進まず戦後体制がほぼ継続しています。

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