北方領土。

また2日ほど過ぎてしまったが、9月5日
1945年にソ連が北海道の北方領土を完全占領した日であり、
全ての戦闘が終わり、
ある意味で真の「終戦の日」であった。

第二次世界大戦終結の日をどの日に置くかは各国で見解が違う。

8月6日、ヒロシマに原爆投下
8月9日、ナガサキに原爆投下、ソ連対日戦参戦
8月14日、ポツダム宣言の受諾を中立国スイス経由で各国に通達。
8月15日、天皇陛下による玉音放送。一般国民に降伏を公表。
8月17日~21日、千島列島北端の占守島でソ連軍と戦闘。
8月25日、樺太の戦いが終わる。
9月2日、東京湾に停泊中の米戦艦ミズーリ艦上で降伏文書調印。
9月5日、ソ連北方四島完全占領

多くの連合国は降伏文書が調印された
9月2日対日戦勝記念日(VJデイ)としているが、
日本人にとっては天皇陛下の肉声が流れた
8月15日が印象がひときわ強くこの日を「終戦の日」としてきた。
天皇陛下はこの日のうちに陸海軍の武装解除を指示したが
実際には降伏文書調印まで
一部の外地では戦闘が続けられた。

特に漁夫の利を狙って敗戦濃厚になっている
8月9日日ソ中立条約を一方的に破り対日宣戦してきたソ連は
卑劣にも9月2日の降伏文書調印も無視して戦闘行為を続行し
5日に北方領土を完全に占領した後に、ようやく一方的な戦闘行為を中止した。

ソ連は従来から太平洋の出口を欲しがっていた。
ヤルタ密約でアメリカとの間で合意した
「千島列島と南樺太の割譲」でそれは現実のものとなりつつあったが、
玉音放送の15日にはさらに権益の拡大を図り
北海道北東部(釧路 – 留萌を結んだ直線以北)
統治をアメリカに持ちかけてきた。
アメリカは17日付けの回答で千島列島の統治のみを認め、
北海道の分割統治は拒絶した。
そもそも8月6日の段階でアメリカは原爆を手にしており、
当初要請していたソ連の助けを必要としていなかったばかりか
ドイツの戦後統治を巡って米ソの対立が表面化しており、
日本の次に戦うべき「仮想敵国」と見なしていた。

ソ連は軍隊の進出圏を広げて占領を既成事実化することで
統治を勝ち取ろうと一気に南樺太、千島列島に南下した。
しかし千島列島最北端の占守島でソ連軍は日本軍の激しい抵抗に遭う。
ソ連軍は独ソ戦に見られるように
東西に広がる広大な領土と冬将軍を利用し、
後退によって自陣に敵を引き込み逆襲する
陣内決戦や縦深戦術など陸戦を得意とするが、
島への上陸作戦においては経験が不足していた。
数的有利なソ連軍は占守島の戦いで結局日本軍以上の犠牲者を出した。
武装解除後も士魂部隊などが必死に抵抗し、
その間に米軍が北海道進駐を開始、
ソ連軍の進軍は北海道を目前にして北方四島占領で止まった。
これらの事実からしても「北方領土の不法占拠という
日本政府の立場は国際法上でも優位に思われる。

ソ連側の対日戦の名目は「日露戦争の復讐」である。
これは明らかな後付であり、
ソ連参戦まで日本との間で領土問題はほとんどなく友好関係が続いていた。
※ノモンハン事件は満州国との領土紛争である
そもそもは来るべき日本本土戦の被害を分担するために
アメリカから出兵を持ち掛けられ、
さらには日露戦争以来、日本に阻まれてきた
極東におけるソ連領土の拡張を志向したものだった。

結果的に日本は
日露戦争のポーツマス講和条約によって
ロシアから勝ち取った南樺太ばかりか、
平和的な条約千島樺太交換条約)で日本領に認められた千島列島
そして日露和親条約の時から
日本固有の領土だった北方四島も奪われてしまった。
実はポーツマス条約が結ばれたのも9月5日である。
9月5日に戦闘行為を中止した所以もこのあたりにあるかもしれない。

いずれにしても北方領土をこのような形で奪われた事と
米軍占領下の日本が戦後の東西冷戦構造の中で
「共産主義に対する防波堤
として西側陣営に組み込まれたため、
北方四島は人質状態であり、
米軍統治の沖縄とは異なった運命を辿ることになる。
サンフランシスコ講和条約で西側諸国との戦争状態は終わり、
沖縄も本土復帰となるが、
ソ連との間では日ソ共同宣言において国交を回復し、
国連加盟に漕ぎつけるも 領土問題は棚上げされた。

敗戦後から冷戦期、ソ連の脅威は今よりもかなり現実的な問題であり、
自衛隊の90式戦車ソ連と対峙する北海道での限定的な運用を目的とした
ソ連戦車に対抗できる大型戦車で、自衛隊の装備も対ソ連を意識していた。
ソ連が崩壊した後、その緊張関係は和らいだものの
対ソ同盟でもある日米同盟と沖縄米軍は健在であるし
ソ連の後継国家であるロシアとの間では
未だ平和条約は結ばれないままである。

平和条約を結んで北方四島が日本に戻る日はいつ来るのだろうか?

コメント

  1. patton より:

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    北方領土はソ連占領後の戦後期に
    2島返還で日本と話し合いがまとまるところだった。
    しかしアメリカが日本とソ連の間にしこりを残すために
    「2島返還で納得するなら沖縄は返さない」と脅しをかけたのだ。
    それがいまだに続いているのが北方四島の現状なのだが
    私とて2島返還で納得するわけもなく
    四島きちっと返してもらいたいものだ。
    しかしソ連としては凍らない港がほしいだけに
    スターリンの残虐さから北海道まで視野に入れたのだろう。
    アメリカに「それは許さない」と言われ、
    すでに出発していた軍艦を急きょ戻させた。それともう一つ
    ソ連の潜水艦の基地は日本海側にあるので、
    どうしても北海道海峡を通る必然性が生まれる。
    しかしエリツィンの時代になって、橋本龍太郎首相との間で
    あともう少しで北方四島が日本に戻るかもとまで話が進んだことがある。
    しかしエリツィンの側近が邪魔をしてとん挫したが
    エリツィンの死後の手紙には「橋本氏はよくやった」というような
    メモが残されていたのがわかっている。
    エリツィンのような人物がいない今、プーチンのような大統領では
    北方四島返還は難しいだろう。

  2. 浮世亭まん丸。 より:

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    →pattonさん
    冷戦末期は北方領土交渉がいいところまで進んでいたそうですね。
    それを妨害したのはアメリカという点が
    やはり心の底からアメリカという国を好きになれないところです。
    田中角栄などアメリカの従属支配から逃れようとした政治家は
    尽く失脚しますし・・・
    アメリカの力が弱まった今こそ
    その支配下から逃れるタイミングかもしれません。
    そうなると重要なのがロシアとの関係です。
    私は第二次安倍内閣の対露関係重視をみて
    当初からそれを狙っていると見ていましたが、
    そのロシアはクルミア併合以降、国際的孤立化を進む出来事が続き
    今ではスポーツの世界にまで広がっています。
    何か臭いますね・・・(´・ω・`)

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