黒人(ネグロイド)という呼称は肌の色の区別であり
白人(コーカソイド)、黄色人種(モンゴロイド)とともに
三大人種と呼ばれますが、
例えばインド人が白人と同じアーリア種族でありながら
肌の色のため黒人扱いされたり、
科学的意味合いよりも差別的な意味合いが強いため
アメリカの黒人種をアフリカ系アメリカ人と呼び変えたり、
現在ではあまり使われない傾向にあります。
しかしここではこうした区分を
人類がしてきた点を踏まえて便宜上使うことにします。
アメリカ黒人の歴史を語るには
16世紀~18世紀の大航海時代から語らねばなりません。
航海技術が発達した大航海時代に
スペインやポルトガルなどヨーロッパ列強はアフリカ大陸を侵略しました。
人類が誕生した大陸と言われ、アフリカ大陸は豊かな動植物があり、
ヨーロッパと違い資源がありました。
ヨーロッパ諸国はイスラム商人などとの
中間貿易に頼らず直接資源を手に入れようとしました。
胡椒や象牙や金など当初は平和的に貿易が行われていましたが、
次第に帝国主義的な搾取が行われ植民地となります。
カイロからケープタウンまでの鉄道用電線を敷設する セシル・ローズの風刺画 |
またアメリカ大陸が発見された事は黒人の運命を大きく変える事になります。
アメリカの広大な大陸でタバコ畑を耕し、
プランテーション経営するために巨大な労働力が必要となりました。
原住民のインディアンは白人に生存圏を脅かされ
抵抗を続けたので奴隷になりませんでした。
そこで目をつけたのがアフリカの黒人でした。
資源搾取だけでなく
アフリカ人自体も奴隷という形で商品として取り扱われたのです。
奴隷狩りの様子 |
アフリカの豊かな自然は文明発達を遅らせていた一面もあり、
アフリカ人は未だに古代的な生活を営んでいました。
ヨーロッパの奴隷商人は直接手を下さず、
ある部族に旧式の武器を与えて敵対部族と戦わせ、
捉えた黒人を巧みに奴隷としました。
こうして黒人は奴隷として大量に北米に渡ることになります。
アフリカの奴隷海岸から大勢の黒人を敷き詰めた奴隷船が海を渡ります。
船内環境は不衛生で疫病が蔓延し、
三人に一人が航海中に死ぬという過酷なものでした。
これは大西洋奴隷貿易と言われ、
ヨーロッパ、アフリカ、アメリカの巨大な三角貿易であり、
この労働力の搾取が現在まで続くアフリカの経済的困窮の原因と言われています。
すし詰め状態の奴隷船の船内見取り図 |
黒人は大航海時代によって世界中で奴隷労働を強いられることになります。
その扱いは家畜同然でした。
神に似せて作られたと自らを誇る白人は
未開の地に住む未知の肌の黒い人たちを悪魔や獣とみなしました。
キリスト教会(バチカン)も議論の末、正式に「黒人は人間でない」と判断し、
奴隷制度を正当化していました。
やがてフレンチ・インディアン戦争(1755年 – 1763年)によって
フランスを追い出したイギリスが北米の覇権を獲得します。
その後、アメリカ大陸のイギリス植民地政府は
アメリカ独立戦争(1775年-1783)を経てイギリスから独立します。
独立後もアメリカ経済は奴隷労働に依存していましたが、
産業革命の恩恵で北部から工業が盛んになり、
黒人奴隷を必要としなくなったので奴隷解放の声が高まります。
これは人権問題というよりも経済問題でした。
黒人を働かせるより移民の賃金労働者を働かせたほうが安上がりだったのです。
これに対しプランテーション中心の経済だった南部は
依然巨大な労働力として黒人奴隷を必要としました。
この奴隷制をめぐる争いが南北戦争(1861年 – 1865年)となります。
第16代アメリカ合衆国大統領 エイブラハム・リンカーン |
北軍が勝利し、リンカーン大統領が奴隷解放宣言(1862年)を行った事で
黒人はようやく奴隷という身分から解放されます。
フランシス・ビックネル・カーペンター 「閣僚に奴隷解放宣言の初稿を提示するリンカーン」(1864) |
しかしリンカーンは現職大統領として初めて暗殺されてしまいます。
その後、北部では全米ライフル協会(NRA)が作られ、
南部では白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)が誕生します。
簡単に黒人差別がなくなる訳もなく
アパルトヘイトのような人種隔離政策は以後も公然と行われたのです。
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