三八式歩兵銃
日本陸軍の主力小銃がサンパチと呼ばれたこの銃です。
明治38年(1905年)に制定され、
昭和20年(1945年)の終戦まで使用される息の長い銃でした。
ボルトアクション式の銃で、
銃身が長く優れた射程距離と命中精度を誇っていました。
第二次大戦期には既に旧式化しており威力不足に悩まされ、
口径を大きくした九九式小銃が新たに開発されましたが、
サンパチを完全に更新するほどの配備とはなりませんでした。
とはいえ相手を無力化するには十分な威力があり、
弾が小型なため、反動が小さく小柄な日本人でも扱いやすく、
歩兵1人あたりの携行弾数も増やすことができました。
反動の大きい九九式よりも好んでサンパチを使う兵士も多かったそうです。
海外にも輸出され、第一次世界大戦で各国で使用されました。
現在でもアメリカではアリサカライフルと呼ばれ
その命中精度から狩猟用として高値で取引されています。
誰が吹聴したのか
日本軍は前時代的な単発式ライフルを使用したとの誤解がありますが、
サンパチは装弾数5発で単発銃ではありません。
たしかに日本が明治時代に作られたサンパチを
マイナーチェンジして使用する中で
アメリカはより優れたセミオート式のM1ガーランドを開発しましたが、
そもそも大戦中にセミオート式小銃を
主力小銃として運用できたのはアメリカのみで、
ほとんどの国は日本と同様のボルトアクション式を主力小銃としており、
アメリカでさえM1ガーランドの運用は
1942年8月のガダルカナル島の戦い以降で
配備が追いつかずボルトアクション式のM1903ライフルを併用していました。
自動小銃(フルオート)が一般化するのは1950年代になってからです。
セミオートは弾薬の装填、
排出が自動化されるので射撃がスムーズに行えますが、
1発ずつ引き金を引くことには変わりないうえに
前弾の反動が残るために
命中精度で言えばボルトアクション式の方が勝っていました。
そのため実戦で大きな差にはなりませんでした。
サンパチは発火炎が出にくいという特徴もあって
ジャングルでは「日本兵全員がスナイパーに見えた」と言われるほど
米軍相手でも十分に戦えました。
百式短機関銃などのサブマシンガンも開発していたので
日本が自動小銃を開発する事は技術的には可能でした。
昭和5年(1930年)という世界的にも早い段階で試作が行われており、
終戦間際にはM1ガーランドのコピーとして四式自動小銃を開発しています。
しかし四式自動小銃は本土決戦に備えて保管されており、
結局、終戦まで自動小銃が実戦で使われることはありませんでした。
基本的に日本では一発必中が崇められ、命中力が重視されました。
また、日本は資源に乏しく
弾を節約しなければならないという現実的な問題があったので
百式短機関銃も全体の10%の配備にとどまっており、
自動小銃の運用に消極的でした。
もし実戦で使われたとしても
補給が絶望的な状況ではうまく運用されたのか疑問が残ります。
ドイツ軍は退却戦闘がメインとなり
現在のアサルトライフルの祖となるStG44を開発してますが、
結果的にソ連に敗れているわけで、
兵器の優劣が直接的に戦局を左右するものでないことがわかります。
1972年にグアムで投降した残留日本兵の横井正一伍長が帰国の際
「天皇陛下からお預かりした三八式銃はちゃんと持ってまいりました。」
と発言したように
日本軍の小銃には天皇陛下からの預かり物
という意味で菊の刻印が入っていました。
日本軍の武装解除の際にはそのまま米軍に渡すと
天皇の持ち物が盗まれる事になるので
天皇の名誉と日本人の尊厳を守るために刻印が削り取られたと言われています。
このようにサンパチはあらゆる点で日本軍を象徴する最小単位の兵器と言えます。
削り取られた菊の紋章(出典:Ca.garcia.s) |
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