アメリカ黒人の歴史④公民権運動~ベトナム戦争。

アメリカは二度の世界大戦に勝ち残り、超大国の地位を築きます。
その背景には総力戦における女性や黒人などの
アメリカ国内のマイノリティーの社会貢献がありました。
アメリカ黒人は敵国人扱いされた日系人とともに
外なる敵と内なる差別その両方と戦ったのです。
戦後はこうしたマイノリティーの社会的地位が向上に向かいます。

しかし戦後になっても伝統的な黒人差別は根強いもので
法律のもとに黒人の権限は制限されていました。(ジム・クロウ法)
黒人は「選挙権はあるが投票権がない」と言われ
アメリカ国籍のアメリカ人であってもアメリカ人扱いされないという状況でした。
(国籍を持っているという点が在日朝鮮人問題との違い)
こうした中で1950年代から
キング牧師マルコムXなどによる公民権運動が盛り上がります。

南部のアラバマ州モンゴメリーの公営バスで
白人に席を譲らなかったという理由
黒人女性のローザ・パークスが逮捕されます。
これに異を唱えたのが現地のキリスト教牧師だった
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアです。

Martin Luther King Jr NYWTS

キング牧師はモンゴメリー・バス・ボイコット運動を主導しました。
多くの黒人が賛同し、バス利用客が激減。
市のバス事業は財政破綻の危機に追い込まれ、
連邦最高裁判所でついに逮捕に対する違憲判決が下され、
一連の運動は成功を収めます。
この事件をきっかけに黒人公民権運動はアメリカ全土に広がりました。

Lyndon Johnson signing Civil Rights Act, July 2, 1964
公民権法に署名するリンドン・ジョンソン大統領

1964年、公民権法が成立。
ジム・クロウ法は即時廃止され黒人と白人はようやく法の下で平等になります。
キング牧師はワシントン大行進「I Have a Dream」の名演説を行い、
白人と黒人が手を取り合う未来を望みノーベル平和賞を受賞します。
キング牧師はインド独立運動のガンジーの影響を受けて
非暴力主義を唱え、世界の民主化運動に影響を与えました。

USMC-09611
ワシントン大行進

一方、別のアプローチで黒人から支持を集めていたのがマルコム・Xでした。
キング牧師が南部生まれの熱心なキリスト教の家系であったのに対し、
マルコムは北部で生まれ、
ネーション・オブ・イスラム(NOI)という組織に属したイスラム教徒であり、
アメリカ国民ではなく、黒人というアンデンティティを頑なに守りました。

Malcolm X NYWTS 2a

マルコムXはキング牧師の融和路線に批判的で、
アメリカ黒人に対して白人社会からの離脱を唱え
「アフリカに還れ」と訴えました。
マルコムが育った北部では公民権法が成立しても
実質的な差別は続くと考えられました。

公民権法はたしかに黒人解放の第一歩でしたが、
実際に血の日曜日事件が発生します。
黒人青年が白人警官に銃撃され殺された事に抗議するため
アラバマ州のセルマから
州都のモンゴメリーまで黒人によるデモ行進が計画されましたが、
白人知事が公共の秩序を乱すとして
無抵抗のデモ隊に対して棍棒や催涙ガス、鞭などを使いデモを阻止したのです。

Bloody Sunday-Alabama police attack

事件以降黒人運動は次第に暴力性を伴うようになり、
キング牧師の非暴力主義は影響力を失います。
こうして公民権運動は分裂状態となります。

1962年、マルコムはNOIと関係が悪化し、メッカを巡礼の後、
NOIを脱退、伝統的イスラムに接近し、キング牧師への支援を申し出ます。
一方、平和路線の限界を感じたキング牧師も
次第に急進的な思想になり、演説でマルコムのレトリックを多用するなど
対立していた二人の指導者は徐々に歩み寄ります。
晩年の二人の主張や姿勢は逆転していたともいわれます。

MartinLutherKingMalcolmX
合衆国議会で偶然顔を合わせた二人の黒人指導者。
これが最初で最後であった。

1964年にはマルコムとキング牧師が対面するなど
分裂しかけていた公民権運動が再び団結に向かうという矢先、
1965年マルコムはNOIによって暗殺されます。
マルコムXは同じアメリカ黒人によって暗殺されたのです。

マルコムXは死後も多くの人に影響力を与えました。
1965年、アメリカはトンキン湾事件を口実に北ベトナムを爆撃、
ベトナム戦争に本格的に介入します。
先日亡くなったばかりの伝説的ボクサー、モハメド・アリ
生前のマルコムに啓蒙されNOIに忠誠を誓いイスラム教に改宗、
ペナルティを負いながらもベトナム戦争における徴兵拒否を行いました。

Muhammad Ali fights Brian London on August 6, 1966

Ali MalcolmX 1964

第二次世界大戦では黒人が白人とともに戦うことはなかったのですが、
公民権法によってベトナム戦争からは黒人部隊が作られず
完全に同じ立場として黒人も白人と一緒に戦うようになり、
皮肉にも人種間の融和の促進剤となっていました。

24th Infantry in Korea
朝鮮戦争での黒人部隊
ベトナム戦争でのアメリカ軍

しかしキング牧師は
黒人が白人の弾除けとして前線に送り込まれていると主張し、
ベトナム反戦運動を展開します。
黒人公民権運動は反戦運動と融合しさらに拡大しました。
キング牧師はマルコム同様ベトナム戦争の最中の1968年、凶弾に倒れます。
キング牧師は白人のならず者に暗殺されました。

キング牧師もマルコムXも奇しくも39歳の若さでした。
黒人にとって相次ぐ指導者の暗殺は大きな損失でした。
二人が生きていたなら公民権運動はまた違ったものになったでしょう。
キング牧師の死後、アメリカ全土で黒人による暴動が起こり、
ブラックパンサー党などマルコムX的な暴力的運動は勢いを増しました。

John Carlos, Tommie Smith, Peter Norman 1968cr
黒人差別に抗議するブラックパワー・サリュート
メダル授賞式で星条旗に目を伏せ黒いグローブを付けた拳を突き上げた
(1968年メキシコシティオリンピック)

キング牧師による反戦反政府運動は戦争主導者にはどう写ったでしょう?
キング牧師の死後も戦争はなかなか終わらず、
アメリカ軍は1973年に
アメリカ史上最長の戦争となったベトナム戦争から撤退します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました