戦史③情報戦の時代(ランチェスターの法則)

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戦間期~第二次世界大戦

世界大戦の未曾有の被害に人類は怯え、
国際連盟が作られ、世界は平和共存に舵を切ります。
しかし提唱国であったアメリカ
モンロー主義を掲げたため連盟に加盟せず、
唯一の共産主義国家ソ連は国際協調から一番遠くにいました。
そして敗戦国ドイツは戦争の全責任を負わされ、世界から見放されます。

世界大戦以前の英独、
世界大戦以後の日米の建艦競争は熾烈を極め、
兵器インフラが各国の財政を圧迫したため
世界初の軍縮会議が行われました。(海軍休日)
しかし、一度作られた兵器を手放すこともできませんでした。
新たに登場した戦車や戦闘機などの兵器は
戦間期に技術の向上が図られます。

ソ連は広大な大陸で繰り広げられた
ロシア内戦の教訓で縦深戦術をさらに研究し、
戦車や戦闘機などの新兵器に着目し、
5ヵ年計画で急速な軍の機械化を進めました。
敗戦国のドイツはヴェルサイユ条約で兵器開発を禁じられましたが、
ソ連とラパッロ条約を結び、
密かにソ連領内で兵器の開発や軍事訓練を行いました。

ラパッロ条約によって
第一次世界大戦とロシア革命から続いていた
独ソ両国の外交的孤立は終わりましたが
これはヴェルサイユ体制を築いた
戦勝国の新秩序に真っ向から対立するものでした。
平和への期待は裏切られ、
ドイツとソ連のポーランド侵攻により第二次世界大戦が起こります。
ドイツは戦車と航空機を中心とする機械化部隊による電撃戦を展開し、
第一次大戦で破れなかったフランスも破り、
極めて短期間でナポレオンのごとくヨーロッパを占領しました。
ヨーロッパ大陸では砲兵の火力と騎兵の機動力を併せ持つ
戦車が戦場で大きな影響力を持つようになります。

Bundesarchiv Bild 101I-382-0248-33A, Im Westen, Panzer II und Panzer I
(出典:Böcker)

一方、太平洋では依然戦艦が主力でしたが
戦間期に航空技術は飛躍的に上がり、日本は世界に先駆けて新造空母を完成します。
中国政策による対立から日米戦争が始まります。
日本は航空機によるハワイ真珠湾攻撃を行い。
マレー沖海戦ではイギリスの最新鋭戦艦を航空戦力のみで沈めます。
日本も短期間でアジア太平洋地域を制圧します。
航空機の機動力の前に戦艦は無力でした。
日本軍の活躍で戦争の主力は戦艦から空母(航空機)の時代になります。

Carrier shokaku

戦闘機の本格的な実戦投入により、
戦いはナポレオン時代の縦列戦術であるから三次元「体」になりました。
こうした戦場の変化によって
イギリス人の航空工学の研究者F.W.ランチェスターは
ランチェスターの法則を生み出します。

局地戦、接近戦、一騎打ちなど原始的な戦いにおいては
単純に兵力の大きさや兵器の性能が優劣を決め
兵力が少なければ武器性能で補う事で勝てました。
戦闘力=武器性能×兵力数(第一法則)
これは弱者の戦略と呼ばれます。

しかし、広域戦、遠隔戦、確率戦などの近代戦になると
集団が同時に複数を攻撃できるようになり
この場合兵力の大きいほうが圧倒的優位な状況になりました。
戦闘力=武器性能×兵力数の2乗(第二法則)
これは強者の戦略と呼ばれます。

アメリカはこの法則に従って第二次大戦を戦い勝利しました。
日本軍は優れた戦術を持っていましたが、戦略的概念が希薄でした。
日本の場合は戦争よりも戦後、
経営学にランチェスター戦略を応用する事で経済大国へと成長しました。

こうして近代戦争では情報が戦況を左右する鍵となっていきます。
世界中でスパイが活動し、
バトル・オブ・ブリテンではイギリス軍のレーダーが活躍し、
ドイツのイギリス侵攻を食い止めました。
太平洋戦線でも日本軍の暗号が解読されたことで、
ミッドウェー海戦で戦力的に優位だった日本軍にアメリカは勝利します。

第二次世界大戦は日独とも戦車や戦闘機などの機動戦術を使い
第一次世界大戦のような持久戦を回避し決戦戦争を目指しましたが、
自国の補給能力を超えて戦線が伸びすぎた事、
また早期講話に失敗したため前回同様の国家総力戦となりました。

第一次世界大戦はヨーロッパ王室の関係があり、
まだ従来の戦争を引っ張っていましたが、
第二次世界大戦は独裁者が指揮したイデオロギーの対立でした。
中でも民族の存亡をかけたドイツと人海戦術を取ったソ連の
独ソ戦は熾烈を極めました。
その上、火力の向上と航空機の発達のため
戦略爆撃により、第一次世界大戦以上に
非戦闘員、一般人の死傷者を大量に生み出しました。
ロンドン、ベルリン、ドレスデン、東京、大阪・・・
数多くの都市で行われた無差別爆撃
その最たるものが広島、長崎の原子爆弾投下でした。
核兵器の誕生で第二次世界大戦は終結しますが
それは新たな戦争形態の始まりでもありました。

Atomic cloud over Hiroshima

コメント

  1. patton より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    独ソ戦争はソ連の広大な土地をドイツ軍が戦略出来なかった。
    ドイツ施設がはるか奥にあったため、ドイツ車両が故障、
    もしくは大破すると、広大な土地を戻って修理しなければならず、
    ソ連領を占領すればするほど距離は伸びた。
    ソ連軍の航空機、戦車は最初、ドイツにかなわなかった。
    エーリヒ・ハルトマンのように最終撃墜数が352機。
    他のパイロットも200機越多数いるような状態でした。
    日本のエースパイロット坂井三郎が64機だから、
    そのすさまじさがわかると思います。
    またハンス・ルーデルのように、戦車や軍車両合わせて1300両という
    破格撃滅数を誇る人物までも現れた。
    しかしT-34戦車の登場でドイツ戦車との性能差が逆転すると、
    ドイツ戦車が太刀打ちできなくなる。
    一方西部戦線ではフランスを占領したドイツが
    バトル・オブ・ブリテンを決行するがシュツーカ爆撃機が機能せず
    いいカモになり、大多数を撃墜させられ甚大は被害を負った。
    巡行ミサイルV-1,V-2は一定の高度を一定のスピードで飛ぶので
    比較的簡単に撃破できた。
    真珠湾攻撃はまさに航空機の幕開けでした。
    航空機から雷撃を行うと魚雷が10メートル以上潜る、
    そうすると真珠湾では海底に突き刺さってしまう。
    これを何とかしなければ、真珠湾攻撃はしないと
    山本五十六が言うと、急きょ魚雷を改造し、
    10メートル潜らない魚雷を作った。
    日本はこの航空機で戦艦を撃滅する経験を活かすことができなかった。
    いや、たった一人、航空機の時代を感じていた上層部が山本五十六であるが、頭の固い軍令部を納得させることはできなかった。
    ミッドウェーは不運な戦闘だった。敵の3倍の兵力を持ちながら、
    たった1機の索敵機の発進が30分遅れただけで負けてしまった。
    ほかの飛行機を飛ばせばよかったがなぜか修理をして時間を無駄にした。
    大体圧倒的な戦力を投入していたのだから、隠密活動などせず
    堂々と戦略すればよかったのだ。
    日本の暗号を読むとAFという暗号が出てくる。アメリカ上層部は
    これがミッドウェーだというのは大体わかっていたが
    確信は持てなかった。
    そこで「ミッドウェー基地の海水を真水にする機械が故障して、飲料水が不足している」と電報を打つと、案の定日本軍が「AFで水が足りないようだ」と暗号で発信した。ここでアメリカ上層部は確信するのです。
    原爆の登場は確かに日本を圧倒させたが落とす必要などなかった。
    戦局はどうあがいても日本に勝ち目はなく、日本の降伏は時間の問題だった。ただ単にアメリカがこの新型兵器の威力確認とソ連への警告に過ぎなかったのである。

  2. 浮世亭まん丸。 より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    > pattonさん
    独ソ戦が起こっていなければ
    戦いの行方は変わっていたかもしれませんね。
    犠牲者の数も随分減っていたと思います。
    英仏がソ連に宣戦しなかったこと
    ドイツがソ連を攻めたこと
    この2点は日本の判断を大いに狂わせたと思います。
    日本を降伏させるためだったら
    原爆投下の必要はありませんでしたね。
    やはりアメリカによる世界秩序建設のための道具であり
    敵国に対する見せしめだったと思います。

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