1985 二度目の敗戦。

前回に続き、日米貿易摩擦つながりでもう一記事書きます。

自分が生まれたのは1990年ですが、
そこから歩んできた90年代、00年代と比較して
生きたこともない80年代に大きな魅力を感じていました。
当時をリアルタイムに過ごしてきた人には
ダサくて洗練されたものがない時代と思うかもしれませんが、
不況の現在とは違って文化も経済も活気がある雰囲気が好きで、
その頃の空気を感じたくて、80年代の音楽を聴いたり、
当時世代向けのムック本とかを読み漁ったこともあります。

世界に視野を広げても、米ソの二極構造が落ち着いてきて
冷戦という殺伐とした状況が緩和した時期でもありましたし、
なんとなく平和なイメージがあります。
それは国内の政治にも影響を与えていて
自民党が三分の二、社民党が三分の一の議席を持つ55年体制が固定化され、
政権交代もできないが憲法改正もできない状況がありました。
60年代~70年代初頭にかけてあれほど盛り上がった学生運動や赤軍派の勢いも
1972年の沖縄返還、1975年のベトナム戦争終結以降徐々に衰え、
80年代は日本が経済大国として世界の経済をリードしていった
ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代です。
日本車やメイド・イン・ジャパンの電化製品が世界中でもてはやされ
敗戦という苦い経験からようやく
日本人が誇りを取り戻した時代とも言えるのではないでしょうか?
そこからなぜ現在の失われた20年と呼ばれる不況に陥ったのか?
この分岐点となったのは1985年という一年にあると思います。

1985年には歴史的な出来事が二つありました。
一つは8月12日に起きた日本航空123便墜落事故です。

Japan Airlines B747SR-46 (JA8119) at Itami Airport in 1984
事故機のJA8119(出典:Harcmac60)

東京、大阪の二大都市間を結ぶ羽田発伊丹行きの飛行機で
事故当日は夏休み中で、「お盆の入り」の前日でもあったため、
出張帰りのビジネスマンのほか、
帰省客や観光客が多く搭乗し満席に近い乗客が乗っていましたが、
何らかの原因で伊豆半島沖で垂直尾翼が破壊され、
コントロール不能に陥り、彷徨った挙句、御巣鷹山の山中に墜落。
単独機としては現在でも史上最悪の犠牲者を出した事故です。

この事故も一連のマレーシア航空事件と同様に謎の多い事故です。
運輸省の事故調査委員会は
当該機の尻もち事故後のボーイング社の修理不備によって
後部圧力隔壁の破壊が起こり、客室内の空気が機体後部に流出したことによって、
機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こり、
また油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、
操縦機能の喪失が起こったと結論を出していますが、
生存者の証言など客室内に急減圧の兆候が見られないことなどから
調査結果に疑念を抱く人が多く、再調査の声が後を立ちません。

二つ目は9月22日に発表されたプラザ合意です。

Plaza hotel.jpg
会場になったニューヨークのプラザホテル
パブリック・ドメイン, リンク

NYのプラザホテルで先進国の財相が集まった会議で
アメリカの対日貿易赤字を解消するため、
政府が市場介入して円高ドル安に誘導することを決めた合意です。
現代ではこの合意がバブル景気
その後の平成不況を呼び起こした直接の原因であると言われています。
一方的に不利な合意をなぜ日本政府は受け入れたのでしょうか?

あくまで陰謀論にすぎませんが、
日航機事故は戦後間もない1949年の夏に起こった
一連の不可解な列車事故(国鉄三大ミステリー事件)と同質の
この頃の日米貿易摩擦に起因するアメリカの工作の一つかもしれません。
対日貿易赤字で苦しむアメリカが、この事故で当時の中曽根政権をゆすり、
アメリカに優位なプラザ合意を結ばせたのだとすれば全て合点がいきます。

123便の垂直尾翼の破壊が後部圧力隔壁の破壊ではなく、
二次的な要因なのではないか?という説は根強く、
日航機の後を二機の自衛隊のファントムが追尾していたという多数の目撃情報、
事故直後に墜落現場で米軍ヘリが飛んでいたという生存者の証言、
事故後14時間もたってから自衛隊の救助活動が行われたという事実。
これら政府の初動の不手際、自衛隊や米軍の行動の不審点から
自衛隊機や米軍機によるミサイルの直撃
それをもみ消すために
日米両政府が山中に墜落させたという陰謀論が流布されています。
日本が核兵器を既に保有しており、
大阪港から海外へ核物質を運び出すために123便を利用して
羽田から伊丹に核物質を輸送させようとしたが、
それを知った米軍が撃墜したという説もあります。
墜落現場には放射能の影響で雪の積もらないホットスポットがあるとか…

過去何度も取り上げているように
日本が潜在的核保有国であることは海外では周知の事実です。
ジャパンバッシングのアメリカを出し抜いて
インドあたりで代理核実験でもする予定だったのでしょうか?
イスラエルも南アフリカ近海で北朝鮮もパキスタンで核実験を行っています。
日本が名実ともに核保有に成功すれば
アメリカの政治的言いなりから脱することができるでしょう。

眉唾に近いものもありますが、
実際、ボーイング社の修理不備が
航空会社の信用を失墜させる重大事故の原因とされながら
事故後、日本航空がボーイング機で独占されたことなど
非常に不可解な点が多いです。

意図的な撃墜か、誤射かはともかく、
アメリカが墜落に直接関与したとなれば日本中に反米感情が溢れかえり、
米軍撤退の流れが起きた可能性は高く、
自衛隊の誤射であれば、
当時国会で紛糾していた防衛費1%問題
中曽根内閣は苦しい立場に追いやられたでしょう。
仮に核物質を輸送していた事が事実であった場合も
国民の反核感情を煽る重大事件に発展したはずです。
どれも日本政府にとって百害あって一利なし、
中曽根政権はこれ以上、経済問題でアメリカと張り合う事よりも、
結託し日米で撃墜を事故に見せかけたというシナリオが浮かび上がります。
日本政府が提案したのかアメリカから脅されたのかは不明ですが、
当時、日本航空は半官半民企業で、政府の出資率は34%に及びました。
政府の圧力を受けやすい状況も隠ぺいを可能にした要因かもしれません。

列車事故はGHQによる占領期間中の出来事ですが、
米軍が現在も使用している横田基地周辺は横田空域と呼ばれる
米軍の許可がないと飛行できない広大な空域が存在しており、
123便もそのエリアに近い伊豆半島沖で最初の爆発が発生しています。
実質日本の空は今もアメリカが支配しているといっても過言ではありません。

1945年8月6日、続く9日の原爆投下が
1985年8月12日の日航機事故であるなら
1945年9月2日の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印が
1985年9月22日のプラザ合意にぴったり符合します。
1945年の終戦からちょうど40年という
メモリアルイヤーに起こったのは単なる偶然でしょうか?

大東亜戦争緒戦、
日本は軍事力によってアジア各国を破竹の勢いで制圧していきましたが、
60年代から70年代にかけて高度経済成長が進み、
東南アジアからヨーロッパへと経済進出を進め、
80年代にはアメリカを凌ぐ勢いで今度は経済力によって世界を席巻しました。
アメリカでビルボードNo.1に輝いた歌手、
まさにアメリカを制した日本人である坂本九
123便に搭乗していたのも偶然でしょうか?
他にも関西の財界人やTORON研究者17名も搭乗者だったようです。
戦時中、米軍が日本人の戦意を損失させる目的で
真珠湾攻撃を立案した山本五十六長官が狙われ、
搭乗機である一式陸攻が撃墜された暗殺事件とダブって見えてきます。

Yamamoto's airplane crash
撃墜された山本長官搭乗機の1式陸攻「海軍甲事件」

坂本9、ボーイング747SR-46型機(機体番号JA8119)
山本56、三菱一式陸攻11型1号機(機番323)

数字の計算は陰謀論者に任せますが、
単なる偶然とは思えない不思議な因果を感じさせます。

Kyu sakamoto Isoroku Yamamoto
(出典:Kyu9)

調査結果で名指しされ、一方的に泥をかぶった形のボーイング社ですが、
その見返りとして日本の航空機市場を独占したのではないでしょうか?
どういう廻りあわせなのか
戦争中、日本の空を支配し日本を焦土化したB-29を作ったボーイング社が
再び日本の空を支配するという事態になっています。
日航機墜落事故をめぐるボーイング機の受注が
ロッキード事件の再来だった可能性は否定できません。

陰謀論など嘘っぱちだというのには決定的証拠に欠けていますし、
事故調査委員会の調査結果には多くの反論もあり、
調査結果と矛盾する多くの目撃情報、証言が寄せられています。
事故調査にあたっていた前橋地検の山口悠介検事正は
「事故原因をぎりぎりまで追究すれば戦争になる」と発言しています。
大韓航空撃墜事件然り、9.11然り、
大きな被害心理的恐怖を引き起こしやすい航空機事故は
戦後、列車に代わって陰謀の標的になったのではないでしょうか?

事故から32年が経ち、今年三十三回忌を迎えました。
5月に100歳を迎えた中曽根元総理
このまま真実を墓場まで持って行くつもりでしょうか?
盟(悪)友レーガン大統領アルツハイマー病を発症して亡くなりましたが、
中曽根元総理はつい最近まで
高齢ながらもハキハキと明瞭な受け答えをしていました。
しかし、100歳を迎えて今更真実を語ったとしても
「ついにボケた」と一蹴されるかも…

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